宿屋でたべる朝飯は、数かぎりもなく色々な思い出がある。まず悪口から云えば、いまでもはっきり思い出すのに、赤倉温泉に行って、香嶽楼と云う宿屋へ泊った時のことだ。ここは出迎えの自動車もあって、一流の宿屋だときいたのだけれど、朝飯にふかし飯《めし》を出されて、吃驚《びっくり》してしまった。ちょうど五月頃の客のない時で御飯もいちいち炊《た》けないのかも知れないけれど、二、三日泊っている間に、私は二、三度ふかし飯を食べさせられて女中さんに談判したことがある。どう云うせいなのか、これは三、四年前のことだのに、この無念さはいまだに思い出すのだから、食いものの恨みと云うものも、なかなか根強いものだと思う。――朝飯にかぎらず、食事のまずいのは東北。しかも樺太《からふと》あたりに行くと、朝からなまぐさい料理を出される。
 朝飯がうまかった思い出は、静岡の辻梅と云う旅館に泊った時だ。ここでは何よりもまず茶のうまいのが愉《たの》しい。京都の縄手《なわて》にある西竹と云う家も朝御飯がふっくり炊けていてうまかった。それから、もっとうまいのに、船の御飯がある。船に乗る度《たび》におもうのだけれど、大連《だいれん》航路の朝の御飯はつくづくうまいと感心している。船旅では朝のトーストもなかなかうまいものだ。
 パンで思い出すのは、北京《ペキン》の北京飯店の朝のマアマレイド。これは誰が煮るのか、澄んだ飴色《あめいろ》をしていて甘くなく酸っぱくなく実においしい。
 私はめったに友人の家へ泊ったことがないけれど、鎌倉の深田久弥《ふかだきゅうや》氏の家へ泊った時の朝御飯は、今でも時々、うまかったと思い出す。奥さんはみかけによらぬ料理好きで、ちょいちょいと短時間にうまいものをつくる才能があって、火鉢でじいじいと炒《い》ためてくれるハムの味、卵子《たまご》のむし方、香《こう》のもの、思い出して涎《よだれ》が出るのだから、よっぽど美味かったのに違いない。
 私は、朝の肉は気にかからないが、朝から魚を出されるのは閉口。中国地の魚どころへ行くと、朝からしゃこの煮つけなんか出される。朝たべられる果物は躯《からだ》に金《きん》のような作用をするそうだけれども、全く、中国地でありがたいものは、果物がふんだんにたべられること。私はこのごろ、朝々レモンを輪切りにして水に浮かして飲んでいるけれど運動不足の躯には大変いいように思う。いまごろだと苺《いちご》の砂糖煮もパンとつけあわせて美味いし、いんぎんのバタ炒《い》り、熱い粉《こ》ふき藷《いも》に、金沢のうにをつけて食べるのなど夏の朝々には愉しいものの一つだと思う。うには方々のを食べてみたけれど、金沢のうにが一番うまいと思った。これは朝々パンをトーストにして、バタのように塗って食べるのだけれど、これは、ちょっとうますぎる感じ。――食べものの話になると、もっともっと書きたいのだけれど一息やすませて貰って、そのうち、うまいものをたべある記でも書きましょう。



底本:「林芙美子随筆集」岩波文庫、岩波書店
   2003(平成15)年2月14日第1刷発行
   2003(平成15)年3月5日第2刷発行
底本の親本:「林芙美子全集」文泉堂出版
   1977(昭和52)年
      「林芙美子選集」改造社
   1939(昭和14)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2005年5月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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