すがに清々《せいせい》とした。寺と云う寺の庭には山茶花《さざんか》の花がさかりだし、並木の木もいい色に秋色をなしていた。広い通りへ出て川上音次郎《かわかみおとじろう》の銅像の処で少時休んだ。女の子供が二人、私のそばで蜜柑《みかん》を喰べていた。それを見ていると、私の舌の上にも酸っぱい汁がたまりそうであった。川上音次郎の銅像はなかなか若い。見ていて、このひとの芝居は私は一度も知らないのだなと、まるで、自分が子供のように若く思えたりする。銅像の裏には共同便所があるので、色々な人たちが出たり這入ったりしていた。
谷中葬場の方へ歩く。葬場の前の柳は十一月だと云うのにまだ青々としていた。ちょうど、道一つ越して柳の前になった処に、小さい額縁屋があって、昔からこの店のつくりだけは変らないようだ。私は、石材屋の横を左に曲って桜木町に這入ってみた。門構えのつつましい一軒の貸家が眼にはいった。さるすべりの禿《は》げたような古木《こぼく》が塀の外へはみ出ている。前の川端さんのお家によく似ていた。差配《さはい》を探して、その家を見せて貰ったが、長い間貸家だったせいか、じめじめしていて、家の中は陰気に暗かった。差配は、七十位の小さい白髪《しらが》の爺《じい》さんで、耳が遠いのか、大きな声で「お住まいはどちらです」と訊《き》いた。「落合《おちあい》です」と云うと、「落合」とおうむ返しに応《こた》えて、私のなりふりには少しも注意せずに、部屋の中まで杖にすがって歩いていた。玄関が四畳半、座敷が八畳、女中部屋が三畳、離れが六畳の品のいい階下だったけれども、座敷の床《とこ》の間《ま》の後に二畳の変な部屋があるのが怖かった。二階は八畳で見晴らしが利きますと、差配は急な梯子《はしご》をぼつりぼつりあがって行った。私もついてあがって行ったが、暗くて急な梯子段の中途にかかると、私はふと、佐藤春夫《さとうはるお》氏の化物屋敷と云う小説を連想して体がぞくぞくと震えた。梯子段は途中で曲ってなお二、三段急になっている。上は真黒で、差配のつく杖の音だけが廊下に音している。雨戸の隙間からにぶい光線がやみくも[#「やみくも」に傍点]に部屋の中へ流れていて、眼がさだまってくると、差配の爺さんはがらがらと雨戸を繰《く》ってくれた。廊下へ出ると、路地がすぐ眼の下で牛乳屋も通る。豆腐屋も通る。豆腐屋もこの辺になると、リヤカアの上
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング