コオヒイ茶碗や、アヒルの灰皿や、スカートを拡げた西洋人形の辛子入れなぞを眺めている。緑のペンキ塗りの陳列のなかのぴかぴか光る金色、赤、コバルト、陶の涼しさ。メリンスの着物に白いエプロンをした美しい子供が店さきに出て来たので、中根慶子さんはいますかと聞いてみる。
子供はすぐ奥へはいって行った。私は陳列の硝子に顔をうつしてみる。水の底の昏い皿の上に私のむくんだ顔がのっている。髪はちぢれた耳かくし。おお暑い、暑いだ。水車の音が耳に来る。洗いざらした鳴戸ちぢみの飛白《かすり》。袂《たもと》はよれよれでござんす。帯は赤と白のナッセンのメリンス。洗うと毛羽だってむくむくと溶けてしまいそうな安物。足袋と下駄は英子さんに大阪の梅田駅で貰ったもの。
中根さん出て来るなり、ンまアと云って驚く。尾道の学校を出て四年。一度も相逢うことなく今日に到る。紺飛白を着てきちんとした姿。何とも落ちぶれた姿の自分が、荷車にひかれた昆布のような気持ちなり。中根さん、地味な色のさめた柄の長いパラソルを持って出て来る。公園へ行こうと云う。
日本でも有名な公園の由なり。公園になぞ行く気はないのだけれども仕方なく、公園へついて行く。中根さんは無口なひとなり。まだかたづかない由にて、私に小説を書いているのかと聞く。小説の話なぞは、夢のような事なのでやめる。東京での様々を打明けたらこのひとは驚くであろう。
公園は暑くてつまらないところであった。
景色を眺める事に何の興味もない。若いせいかも知れないけれども、蝉の焙《あぶ》られるようなそうぞうしさ。池のほとりを高等学校の生徒が灰色の服を着て下駄ばきで歩いている。みんなりりしく見える。中根さん、カインの末裔《まつえい》を読んだかと云う。私は東京の生活が荒れているので、そんな静かなものは読んではいられない。
赤松の樹蔭《こかげ》に茶店がある。中根さんはそこへ這入る。水潰けになっているラムネを二本註文する。みぞれをかいてもらって、それへラムネをかけて飲む。舌の上がぴりぴりとしてその醍醐味《だいごみ》は蒼涼《そうりょう》。蝉取りの少年が沢山遊んでいる。どおんと眠ったような公園の景色なり。
締め合わせられる、つなぐ、断れる。心がきれぎれで、ラムネのびんの玉を、からからとゆすぶっているだけ。尾道へ行く旅費。二円五十銭もあれば、羊かんも買って帰れる。きらきらと向うは陽が射している。こちらは深い蔭になって、長い縁台に眼鏡をかけた男が口を開けて昼寝をしている。氷の旗のゆれる色彩。眼をこらして四囲をみているのだけれども、この景色も、汽車の中では忘れてしまうに違いない。袂の中へがまぐちを落して、ひそかに氷とラムネ代を勘定する。
中根さんも東京へ行きたいとぽつりぽつり話しているけれども、私はうわのそらで、銅貨を数える。昔は仲が良かったと云うだけで、意味もなく公園の景色なぞを眺めていなければならないつまらなさに哀しくなって来る。
氷とラムネ代を払って、四銭残る。みえ坊で嘘つきで、ていさい[#「ていさい」に傍点]のいいことばかりで、中根さんに旅費を借りる事を断念。――昼前に橋本へ帰り、勇気を出して、借銭を申し込んで二円五十銭おばさんより借りる。二人の女学生は急に軽蔑《けいべつ》したような眼で私を見ている。この眼が一等いやなのだ。私はまるで犯罪人になったようなうらぶれた気持ちで昼の駅へ行く。
羊かんを買わないで、弁当を買う。三等の待合室で弁当を食べる。売店で青いバナナを二本買う。五銭也。
少しばかりの金が、こんなに勇気づけてくれる。公園でのびのびとラムネを飲めばよいものを、銭勘定をしながらびくびくして飲んだ事に腹立たしくなる。中根さんは別に厭な女でもないのに、吐気がする程厭に思えて来る。御馳走をした上に、びくびくして、中根さんにへりくだってものを云っている自分にやりきれなくなっていた。小説はうれるの? いいえ売れないのよ。どんなものを書いているの? どんなものって、童話みたいなものよ。一々あやまって返事をしていたようなみじめさが話していながら、ああ駄目だ駄目だと中根さんに押されて来る。奴隷根性。いつもぺこぺこ。何とかして貰うつもりもないのに笑顔をつくってへりくだってみせる。
詩や小説を書くと云う事は、会社勤めのようなものじゃありませんのよと心の中でぶつくさ云いわけしている。
尾道へ着いたのが夜。
むっと道のほてりが裾の中へはいって来る。とんかん、とんかん鉄を打つ音がしている。汐臭い匂いがする。
少しもなつかしくはないくせに、なつかしい空気を吸う。土堂の通りは知ったひとの顔ばかりなので、暗い線路添いを歩く。星がきらきら光っている。虫が四囲いちめん鳴きたてている。鉄道草の白い花がぼおっと線路添いに咲いている。神武天皇さんの社務所の裏
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