たを世話してあげようと云う先生の言葉だったけれど、その手紙は薄ずみで書いた断り状だった。
文士って薄情なのかも知れない。
夕方新宿の街を歩いていると、何と云うこともなく男の人にすがりたくなっていた。(誰か、このいまの私を助けてくれる人はないものなのかしら……)新宿駅の陸橋に、紫色のシグナルが光ってゆれているのをじっと見ていると、涙で瞼《まぶた》がふくらんできて、私は子供のようにしゃっくり[#「しゃっくり」に傍点]が出てきた。
何でも当ってくだけてみようと思う。宿屋の小母さんに正直に話をしてみた。仕事がみつかるまで、下で一緒にいていいと言ってくれた。
「あんた、青バスの車掌さんにならないかね、いいのになると七十円位這入るそうだが……」
どこかでハタハタでも焼いているのか、とても臭いにおいが流れて来る。七十円もはいれば素敵なことだ。とにかくブラさがるところをこしらえなくてはならない……。十|燭《しょく》の電気のついた帳場の炬燵《こたつ》にあたって、お母アさんへ手紙を書く。
――ビョウキシテ、コマッテ、イルカラ、三円クメンシテ、オクッテクダサイ。
この間の淫売婦が、いなりずしを頬ばりながらはいって来た。
「おとついはひどいめに会った。お前さんもだらしがないよ。」
「お父つぁん怒ってた?」
電気の下で見ると、もう四十位の女で、乾いたような崩れた姿をしていた。
「私の方じゃあんなのを梟《ふくろう》と云って、色んな男を夜中に連れ込んで来るんだが、あんまり有りがたい客じゃあないんですよ。お父つぁん、油をしぼられてプンプン怒ってますよ。」
人の好さそうな老けたお上さんは、茶を淹《い》れながらあの女の事を悪く云っていた。
夜、お上さんにうどんを御馳走になる。明日はここの小父さんのくちぞえで青バスの車庫へ試験をうけに行ってみよう。暮れぢかくになって、落ちつき場所のない事は淋しいけれど、クヨクヨしていても仕様のない世の中だ。すべては自分の元気な体をたのみ[#「たのみ」に傍点]に働きましょう。電線が風ですさまじく鳴っている。木賃宿の片隅に、この小さな私は、汚れた蒲団に寝ころんで、壁に張ってある大黒さんの顔を見ながら、雲の上の御殿のような空想をしている。
(国へかえってお嫁にでも行こうかしら……)
*
(四月×日)
今日はメリヤス屋の安さんの案内で、地割りをしてくれるのだと云う親分のところへ酒を一升持って行く。
道玄坂の漬物屋の路地口にある、土木請負の看板をくぐって、綺麗ではないけれど、拭きこんだ格子を開けると、いつも昼間場所割りをしてくれるお爺さんが、火鉢の傍で茶を啜《すす》っていた。
「今晩から夜店をしなさるって、昼も夜も出しゃあ、今に銀行《くら》が建ちましょうよ。」
お爺さんは人のいい高笑いをして、私の持って行った一升の酒を気持ちよく受取ってくれた。
誰も知人のない東京なので、恥かしいも糞《くそ》もあったものではない。ピンからキリまである東京だもの。裸になりついでにうんと働いてやりましょう。私はこれよりももっと辛かった菓子工場の事を思うと、こんなことなんか平気だと気持ちが晴れ晴れとしてきた。
夜。
私は女の万年筆屋さんと、当《あて》のない門札を書いているお爺さんの間に店を出さして貰った。蕎麦《そば》屋で借りた雨戸に、私はメリヤスの猿股《さるまた》を並べて「二十銭均一」の札をさげると、万年筆屋さんの電気に透して、ランデの死[#「ランデの死」に傍点]を読む。大きく息を吸うともう春の気配が感じられる。この風の中には、遠い遠い憶《おも》い出があるようだ。鋪道《ほどう》は灯の川だ。人の洪水だ。瀬戸物屋の前には、うらぶれた大学生が、計算器を売っていた。「諸君! 何万何千何百何に何千何百何十加えればいくらになる。皆判らんか、よくもこんなに馬鹿がそろったものだ。」
沢山の群集を相手に高飛車に出ている、こんな商売も面白いものだと思う。
お上品な奥様が、猿股を二十分も捻《ひね》っていて、たった一ツ買って行った。お母さんが弁当を持って来てくれる。暖かになると、妙に着物の汚れが目にたってくる。母の着物も、ささくれて来た。木綿を一反買ってあげよう。
「私が少しかわるから、お前は、御飯をお上り。」
お新香に竹輪《ちくわ》の煮つけが、瀬戸の重ね鉢にはいっていた。鋪道に背中をむけて、茶も湯もない食事をしていると、万年筆屋の姉さんが、
「そこにもある、ここにもあると云う品物ではございません。お手に取って御覧下さいまし。」
と大きい声で言っている。
私はふっと塩っぱい涙がこぼれて来た。母はやっと一息ついた今の生活が嬉しいのか、小声で時代色のついた昔の唄を歌っていた。九州へ行っている義父さえこれでよくなっていたら、当分はお母
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