るよ。少しそのへんでゆっくりしゃがんでなさい」
「うん、何か紙はないかの」
 私は荷物の中から新聞紙を破ってお母さんへ渡した。よわりめに、たたりめ。幽霊みたいな運命の奴にたたられどうしだ。いまに見よれ。そんな運命なんか叩き返してみせる。あんまりいじめるなよ、おい、ぞうもく[#「ぞうもく」に傍点]野郎! 私は青い空に向って男のように雑言を吐いてみる。私は、こんな生きかたは厭なんだよ。みずみずしい風が吹く。それもしみったれて少しずつ吹いている。
 お母さんは裾をくるりとまくって、草の中へしゃがんだ。握りこぶし程に小さい。死んじまいなよ。何で生きてるんだよ。何年生きたって同じことだよ。お前はどうだ? 生きていたい。死にたくはござらぬぞ……。少しは色気も吸いたいし、飯もぞんぶんに食いたいのです。
 蝉《せみ》が啼《な》きたてている。まあ、こんなに、畑や田んぼが広々としているというのに、誰も昼寝の最中で、行商人なぞはみむきもしない。草に寝転んでいると、躯ごと土の中へ持ってゆかれそうだ。堤の上をまた荷物列車が通る。石材を乗せて走っている。材木も乗っている。東京は大工の書きいれ時だ。あんな石なんかを走らせて、あの石の上に誰が住むのだろう。
 寝ながら口笛を吹く。
「まだかね?」
 時々、お母さんへ声をかけてやる。人間がしゃがんでいるかっこうというものは、天子様でも淋しいかっこうなんだろう。皇后さまもあんな風におしゃがみなのかねえ。金の箸《はし》で挾《はさ》んで、羽二重の布に包んで、綺麗な水へぽちゃりとやるのかもしれない。
 俺とお前は枯れすすき、花の咲かない枯れすすき……。大きい声で唄う。全く惚々《ほれぼれ》するような声なり。おいたわしやのこの人なき真昼。窒息しそうだなぞと云っても、こんなに沢山空気があっては陽気にならざるを得ない。只、空気だけが運命のおめぐみだ。
 絶世の美人に生んでくれないのがあなたの失策さ……。何処にでもあるような女なんか、世の中はみむいてもくれないのさ。
「ああ、やっと出た」
「沢山かね?」
「沢山出たぞ」
 お母さんは立ちあがって、ゆっくり裾をおろした。
「えらい見晴しがいいのう」
「こんなところへ、小舎をたてて住んだらいいね」
「うん。夜は淋しいぞ……」
 用を達して気持ちがいいのか、母は私の横へ来て、セルロイドの歯のかけた櫛《くし》で髪をときつける。
前へ 次へ
全266ページ中258ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング