(九月×日)
 夜が明けかけて来たけれど、どうにもならない。
 昨夜は蒲団を売る事にきめて安心して眠ったのだけれど、こう涼しくては蒲団を売るわけにもゆかない。葛西《かさい》善蔵と云うひとの小説みたいにどうにもならなくなりそうだ。私は別に酒が飲みたいよく[#「よく」に傍点]もないけれど、生きようがないではありませんか。
 らっきょうと、甘いうずら豆が食べたい。キハツ油も買いたい。朝がえりの学生があると見えて、スリッパを鳴らして二階へ上ってゆく足音がする。ここから吉原まではさほどの道のりでもあるまい。吉原では女をいくら位で買ってくれるものかと思案してみる。
 さて、朝になれば、いよいよまた活動出発の用意。雀がよく鳴いている。上々の天気。硝子《ガラス》窓から柿の葉が覗《のぞ》いている。台所の方で小さい唄声がきこえる。私はふっと思いついて、この下宿の女中になれぬものかと思う。客部屋から女中部屋に転落してゆくだけだ。給料はいらない。ただ食べさせてもらって雨露をしのげればいい。この部屋の先住の英文科の帝大生が壁にナイフで落書をしている。エデンの園とは? 私も知らない。この気取りやさんは、落第をして郷里に戻って行ったのだそうだけれども、私には戻ってゆく故郷もない。
 ダダイズムの詩と云うのが流行《はや》っている。つまらない子供だましみたいな詩。言葉のあそび。血が流れていない。捨身で正直なことが云えない。只、やぶれかぶれだけ。だから私も作ってみようと眼をつぶって、蝙蝠傘《こうもりがさ》と烏《からす》と云う詩をつくってみる。眼をつぶっていると、黒いものからぱっぱっと聯想《れんそう》がとぶ。おかしなことばかり考える。まず、第一に匂いの思い出が来る。それから水っぽい涙が鼻をならしに来る。わにに喰いつかれたような、声も出ない悲鳴が出て来る。私の乳房が千貫の重さで、うどん粉の山のようにのしかかっている。手の爪に白い星が出ている。いい事があるのだそうだけれど信じない。シーツなぞ長いこと敷いたことのない敷蒲団に、私はなまぐさく寝ている。これが本当のエデンの園です。蒲団は芝居ののぼりでつくった、まことにしみじみとするカンヴァスベッド。

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感化院出の誰の誰
許して下さいと云う言葉を日にいくど
頂戴とか下さいとか
雨のなかに立って物乞う姿
不安な呻吟《しんぎん》
世の誰と
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