かあと熱くなる。
「どんなひとの詩を読みましたか?」
「はい、ハイネを読みました。ホイットマンも読みました」
 高級な詩を読むと云う事を、云っておかないと悪いような気がした。だけど、本当はハイネもホイットマンも私のこころからは千万里も遠いひとだ。
「プウシュキンは好きです」
 私はいそいで本当の事を云った。
 あなたも御病気で悲惨のきわみだけれど、私も貧乏で、悲惨のきわみなのです。四百四病の病より、貧よりつらいものはないと、うちのおっかさんが口癖に云います。だから、私はころされた大杉|栄《さかえ》が好きなのです。
 広い部屋。暗い床の間に切り口の白い本が少し積み重ねてある。シタンの机が一つ。暑くるしいのに障子が閉めてある。傘のない電燈が馬鹿にくらい。
 遠くに離れて坐っているので、生田さんは馬鹿に細っこく見える。四十位のひとだと思う。
 何と云う事もなく、生田春月と云うひとを尋ねるべきだったと思う。婆やさんみたいなひとがお茶を持って来たので、私はがぶりと飲んだ。
 病気のひとをぶじょくしてはいけないと思った。
 詩の原稿をあずけて帰る。
 どうにかなるだろう。どうにもならないでもそれきり。
 上野広小路のビールのイルミネーションが暗い空に泡《あわ》を吹いている。宝丹の広告燈もまばゆい。
 おしる粉一ぱいあがったよのだみ声にさそわれて、五銭のおしる粉を食べた。夜店が賑《にぎ》やかだ。
 水中花、ナフタリンの花、サスペンダー、ロシヤパン、万能大根刻み、玉子の泡立器、古本屋の赤い表紙のクロポトキン、青い表紙の人形の家。ぱらぱらと頁をめくると、松井須磨子の厚化粧の舞台姿の写真が出て来る。
 福神漬屋の酒悦《しゅえつ》の前は黒山のような人だかり。インド人がバナナのたたきうりをしている。
 十三屋の櫛屋《くしや》の前に、艶歌師がヴァイオリンを弾いていた。みどりもふかきはくようの……ほととぎすの歌だ。随分古めかしい歌をうたっている。
 いっとき立ちどまってきく。年増《としま》のいちょうがえしの女がそばに立っていた。昔、佐世保にいた頃、私はこの歌をきいた事がある。誘われるようななつかしさを感じる。
 艶歌師がうたってくれるようないい小説が書きたい。だけど、小説は長ったらしくてめんどうくさい。ルパシカを着て、紐を前で長く結んでいる艶歌師の四角い顔が、文章|倶楽部《クラブ》の写真で見た
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