がるほどだ。二階で、急に、女の声で、「助平だねえッ」と云った。みんなびっくりして、天井をみあげる。
「また昼間っからやってるよ。どったんばったん角力《すもう》ばかりやってンですよ。――なあにね、酔っぱらって、おかみさんをいじめるのが癖なンで……」
 髪結さんがびんまどに、筋槍をつきたてながらくすくす笑っている。みんなも笑った。御亭主は株屋で、細君は牛屋《ぎゅうや》の女中だそうだ。朝から酒を飲んで、寝床をたたんだ事がないと云う夫婦だそうだ。
 白いたけながをかけてもらう。結い賃が三十銭、たけながが二銭、三十五銭払う。
 まるで頭の上は果物籠をのっけたような感じ、十五日ぶりでさっぱりとする。
 肺が歌うがつっかえされたのだから、今度は品をかえて童話を持って行く事にする。
 茅町《かやちょう》から上野へ出て、須田町行きの電車に乗る。埃《ほこり》がして、まるで夕焼みたいな空。何だか生きている事がめんどうくさくなる。黒門町からピエロの赤い服を着たちんどん屋の連中が三人乗り込んで来る。車内はみんなくすくす笑い出した。若いピエロが切符を切って貰っている。青と紅のだんだら縞の繻子《しゅす》の服で、顔だけは化粧をしていないので、なおさら妙だ。
 あんなかっこうをして生きてゆく人もある。日当はいくら位になるのかしら……。私は知らん顔をして窓の外を見ていたけれど、段々、むちゃくちゃになってもいいような気がしてきた。一人位、私と連れ添う男はないものかと思う。
 私を好きだと云うひとは、私と同じようにみんな貧乏だ。風に吹かれる雨戸のようにふわふわしている。それっきりだ。
 銀座へ出て滝山町の朝日新聞に行く。中野秀人と云うひとに逢う。花柳はるみと云う髪を剪《き》ったはいからな女のひとと暮しているひとだと風評にきいていたので、胸がどきどきした。世間のひとと云うものは、なかなかひとの貧乏な事情なぞ判ってはもらえない。詩をそのうち見ていただきますと云って戸外へ出る。
 中野さんの赤いネクタイが綺麗《きれい》だった。
 紹介状も何もない女の詩なんか、どこの新聞社だって迷惑なのだ。銀座通りを歩く。
 広告に出ていたタイガーと云う店があった。並んで松月と云う店もある。みとれるように綺麗なひとがきどった小さい白まえだれをしてのぞいている。胸まであるエプロンはもう流行《はや》らないのかしら。
 砂まじりの強い
前へ 次へ
全266ページ中172ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング