濡らすかな。

海ぞいの黍畑に立ちて
何の願いぞも
固き葉の颯々と吹き荒れるを見て
二十五の女は
真実命を切りたき思いなり
真実死にたき思いなり

伸びあがり伸びあがりたる
玉蜀黍は儚なや実が一ツ
ここまでたどりつきたる二十五の女の心は
真実男はいらぬもの
そは悲しくむずかしき玩具ゆえ

真実世帯に疲れるとき
生きようか、死のうか
さても侘しきあきらめかや
真実友はなつかしけれど一人一人の心故……

黍の葉の気ぜわしいやけなそぶりよ
二十五の女心は
一切を捨て走りたき思いなり
片眼をつむり片眼をひらき
ああ術《すべ》もなし男も欲しや旅もなつかし
ああもしようと思い
こうもしようと思う……
おだまきの糸つれづれに
二十五の呆然と生き果てし女は

黍畑の畝に寝ころび
いっそ深々と眠りたき思いなり

ああかくばかりせんもなき
二十五の女心の迷いかな。
[#ここで字下げ終わり]

 これだけがせいいっぱいの、私のいまの生きかたなのです、そしてこの頃の私は、火のような懊悩《おうのう》が、心を焼いている。さあ! もっと殴って、もっと私をぶちのめして下さい。私は土の崩れるような大きな激情がよせて来ると、何もかもが一切|虚《むな》しくなりはてて、死ぬる事や、古里の事を考え出してくる。だけど、ナニクソ! たまには一升の米も買いたいと言っていたあの頃の事を考えると、私は自分をほろぼすような悪念を克服してゆく事に努力をしなければなりません。この「放浪記」は、私の表皮にすぎない。私の日記の中には、目をおおいたい苦しみがかぎりなく書きつけてある。

 これからの私は、私の仕事に一生懸命に没入しようと思っている。子供のような天真な心で生きて行きたいと思うけれども、この四五年の私の生活は、体の放浪や、旅愁なんかと云うなまやさしいものではなかった。行くところもないようないまだに苦しい生活の連続でした。私はうんうん唸ってすごして来ました。どこまでが真実なのか、どこまでが嘘なのか、見当もつかない色々なからくりを見て、むかしの何か愉しいものが、もういまは、ほんとうに何もなかったのだと云う淋しさ……。空へのあこがれ、土へのあこがれ、沈黙って遠い姉にも、何か祝ってやってもいいではないかとも思っています。母の弱い気持ちもなごむにちがいないのです。愚にもつかない私のひねくれた気持ちを軽蔑《けいべつ》するがいい。
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