の壁をめぐらしたドックの建物を山の上から見降ろしていると、旗を押したてて通用門みたいなところに黒蟻《くろあり》のような職工の群が唸っていた。山の小道を子供を連れたお上さんやお婆さんが、点々と上って来る。八月の海は銀の粉を吹いて光っているし、縺《もつ》れた樹の色は、爽かな匂いをしていた。
「尾道から警官がいっぱい来たんじゃと。」
髪を後になびかせた若いお上さん達が、ドックを見下ろして話しあっていた。
「しっかりやれッ!」
「負けなはんな!」
「オーイ……」真昼間の、裸の職工達の肌を見ていると、私も両手をあげて叫んだ。旅の古里の言葉で、「しっかりやってつかアしゃア。」
「御亭主があそこにおってんな? うちの人は、こうなったら、もう死んでもええつもりでやる云いよりやんした。」
私はわけもなく涙があふれていた。事務員をしたりしてあんなにつくした私の男が、大学を出ると、造船所の社員になって、すました生活をしている、ここから見ていると、あんな門位はすぐ崩れてしまうようにもろく見えているのに……。
「職工は正直でがんすけん、皆体で打《ぶ》っつかって行きゃんさアね。」
とうとう門が崩れた。蜂が飛ぶように黒点が散った。光った海の上を、小舟が無数に四散して行っている。
[#ここから2字下げ]
潮鳴の音を聞いたか!
茫漠と拡がった海の上の叫喚を聞いたか!
煤けたランプの灯を女房達に託して
島の職工達は磯の小石を蹴散《けちら》し
夕焼けた浜辺へ集まった。
遠い潮鳴の音を聞いたか!
何千と群れた人間の声を聞いたか!
ここは内海の静かな造船港だ
貝の蓋を閉じてしまったような
因の島の細い町並に
油で汚れたズボンや菜っぱ服の旗がひるがえっている
骨と骨で打ち破る工場の門の崩れる音
その音はワアン、ワアンと
島いっぱいに吠えていた。
青いペンキ塗りの通用門が勢いよく群れた肩に押されると
敏活なカメレオン達は
職工達の血と油で色どられた清算簿をかかえて
雪夜の狐のようにランチへ飛び乗って行ってしまう
表情の歪んだ固い職工達の顔から
怒りの涙がほとばしって
プチプチ音をたてているではないか
逃げたランチは
投網《とあみ》のように拡がった巡警の船に横切られてしまうと
さてもこの小さな島の群れた職工達と逃げたランチの間は
只一筋の白い水煙に消されてしまう。
歯を噛み額を地にすりつけても
空
前へ
次へ
全266ページ中124ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング