「実は、そこは酒を積むところですから蚊が多いんですよ。今日は船員室でお寝《やす》みなさい。」
この料理人は、もう四十位だろうけれど、私と同じ位の背の高さなのでとてもおかしい。私を自分の部屋に案内してくれた。カーテンを引くと押入れのような寝室がある。その料理人は、カーネエションミルクをポンポン開けて私に色んなお菓子をこしらえてくれた。小さいボーイがまとめて私の荷物を運んで来ると、私はその寝室に楽々と寝そべった。一寸《ちょっと》頭を上げると枕もとの円い窓の向うに大きな波のしぶきが飛んでいる。今朝の美しい機関士も、ビスケットをボリボリかみながら一寸|覗《のぞ》いて通る。私は恥かしいので寝たふりをして顔をふせていた。肉を焼く美味《おい》しそうな油の匂いがしていた。
「私はね、外国航路の厨夫《ちゅうふ》だったんですが、一度東京の震災を見たいと思いましてね、一と船休んで、こっちに連れて来て貰ったんですよ。」
大変丁寧な物云いをする人である。私は高い寝台の上から、足をぶらさげて、御馳走を食べた。
「後でないしょでアイスクリームを製《つく》ってあげますよ。」本当にこの人は好人物らしい。神戸に家があって、九人の子持ちだとこぼしていた。
船に灯がはいると、今晩は皆船底に集まってお酒盛りだと云う。料理人の人達はてんてこ舞いで忙がしい。――私は灯を消して、窓から河のように流れ込む潮風を吸っていた。フッと私は、私の足先に、生あたたかい人肌を感じた。人の手だ! 私は枕元のスイッチを捻《ひね》った。鉄色の大きな手が、カーテンの外に引っこんで行くところである。妙に体がガチガチふるえてくる。どうしていいのかわからないので、私は大きなセキをした。
やがて、カーテンの外に呶鳴《どな》っている料理人の声がした。
「生意気な! 汚ない真似をしよると承知せんぞ!」
サッとカーテンが開くと、料理|庖丁《ぼうちょう》のキラキラしたのをさげて、料理人のひとが、一人の若い男の背中を突いてはいって来た。そのむくんだ顔に覚えはないけれど、鉄色の手にはたしかに覚えがあった。何かすさまじい争闘が今にもありそうで、その料理庖丁の動く度びに、私は冷々とした思いで、私は幾度か料理人の肩をおさえた。
「くせになりますよッ!」
機関室で、なつかしいエンジンの音がしている。手をはなしながら、私は沈黙ってエンジンの音を聞いて
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