た全生活を振り捨てて
私は木賃宿の蒲団に静脈を延ばしている
列車にフンサイされた死骸を
私は他人のように抱きしめてみた
真夜中に煤けた障子を明けると
こんなところにも空があって月がおどけていた。
みなさまさよなら!
私は歪《ゆが》んだサイコロになってまた逆もどり
ここは木賃宿の屋根裏です
私は堆積《たいせき》された旅愁をつかんで
飄々《ひょうひょう》と風に吹かれていた。
[#ここで字下げ終わり]
夜中になっても人が何時までもそうぞうしく出はいりをしている。
「済みませんが……」
そういって、ガタガタの障子をあけて、不意に銀杏返《いちょうがえ》しに結った女が、乱暴に私の薄い蒲団にもぐり込んで来た。すぐそのあとから、大きい足音がすると、帽子もかぶらない薄汚れた男が、細めに障子をあけて声をかけた。
「オイ! お前、おきろ!」
やがて、女が一言二言何かつぶやきながら、廊下へ出て行くと、パチンと頬を殴る音が続けざまに聞えていたが、やがてまた外は無気味な、汚水のような寞々《ばくばく》とした静かさになった。女の乱して行った部屋の空気が、仲々しずまらない。
「今まで何をしていたのだ! 原籍は、どこへ行く、年は、両親は……」
薄汚れた男が、また私の部屋へ這入って来て、鉛筆を嘗《な》めながら、私の枕元に立っているのだ。
「お前はあの女と知合いか?」
「いいえ、不意にはいって来たんですよ。」
クヌウト・ハムスンだって、こんな行きがかりは持たなかっただろう――。刑事が出て行くと、私は伸々と手足をのばして枕の下に入れてある財布にさわってみた。残金は一円六十五銭也。月が風に吹かれているようで、歪んだ高い窓から色々な光の虹《にじ》が私には見えてくる。――ピエロは高いところから飛び降りる事は上手だけれど、飛び上って見せる芸当は容易じゃない、だが何とかなるだろう、食えないと云うことはないだろう……。
(十二月×日)
朝、青梅《おうめ》街道の入口の飯屋へ行った。熱いお茶を呑んでいると、ドロドロに汚れた労働者が駈け込むように這入って来て、
「姉さん! 十銭で何か食わしてくんないかな、十銭玉一つきりしかないんだ。」
大声で云って正直に立っている。すると、十五六の小娘が、
「御飯に肉豆腐でいいですか。」と云った。
労働者は急にニコニコしてバンコ[#「バンコ」に傍点]へ腰をかけた。
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