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さいはての駅に下り立ち
雪あかり
さびしき町にあゆみ入りにき
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雪が降っている。私はこの啄木《たくぼく》の歌を偶《ふ》っと思い浮べながら、郷愁のようなものを感じていた。便所の窓を明けると、夕方の門燈《あかり》が薄明るくついていて、むかし信州の山で見たしゃくなげの紅《あか》い花のようで、とても美しかった。
「婢《ね》やアお嬢ちゃんおんぶしておくれッ!」
奥さんの声がしている。
あああの百合子と云う子供は私には苦手だ。よく泣くし、先生に似ていて、神経が細くて全く火の玉を背負っているような感じである。――せめてこうして便所にはいっている時だけが、私の体のような気がする。
(バナナに鰻《うなぎ》、豚カツに蜜柑《みかん》、思いきりこんなものが食べてみたいなア。)
気持ちが貧しくなってくると、私は妙に落書きをしたくなってくる。豚カツにバナナ、私は指で壁に書いてみた。
夕飯の支度の出来るまで赤ん坊をおぶって廊下を何度も行ったり来たりしている。秋江《しゅうこう》氏の家へ来て、今日で一週間あまりだけれど、先の目標もなさそうである。ここの先生は、日に幾度も梯子《はしご》段を上ったり降りたりしている。まるで二十日鼠のようだ。あの神経には全くやりきれない。
「チャンチンコイチャン! よく眠ったかい!」
私の肩を覗《のぞ》いては、先生は安心をしたようにじんじんばしょり[#「じんじんばしょり」に傍点]をして二階へ上って行く。
私は廊下の本箱から、今日はチエホフを引っぱり出して読んだ。チエホフは心の古里だ。チエホフの吐息は、姿は、みな生きて、黄昏《たそがれ》の私の心に、何かブツブツものを言いかけて来る。柔かい本の手ざわり、ここの先生の小説を読んでいると、もう一度チエホフを読んでもいいのにと思った。京都のお女郎の話なんか、私には縁遠い世界だ。
夜。
家政婦のお菊さんが、台所で美味《おい》しそうな五目寿司を拵《こしら》えているのを見てとても嬉しくなった。
赤ん坊を風呂に入れて、ひとしずまりすると、もう十一時である。私は赤ん坊と云うものが大嫌いなのだけれど、不思議な事に、赤ん坊は私の背中におぶさると、すぐウトウトと眠ってしまって、家の人達が珍らしがっている。
お蔭《かげ》で本が読めること――。年を取って子供が出来ると、仕事も手につか
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