横に張りつけてあって、窓の外に明るい庭がみえています。広い、道場のような工場の中には、赤い着物を着たひとだの、青い着物のひとだの、濃い縞《しま》の着物を着ているひとだのが、カアキ色のエプロンをして色々な作業についていました。
 織り物をするところでは、輸出向きのタフタのようなものを、動力をつかった沢山の機《はた》で織っているのですが、ここは千紫万紅《せんしばんこう》色とりどりに美しい布の洪水《こうずい》です。わたしたちのパラソルにいいような、黄と青と黒の派手なチェック模様や、真夏の海辺に着たいような赤とブルウの大名縞《だいみょうじま》、そんな人絹《じんけん》のタフタが沢山出来ているそばでは地味な村山大島が、織られていたり、畳を敷いたところでは、娘やおばあさんたちが、派手な着物を縫っていたりしました。請負《うけお》い仕事なのでしょうが、とにかく、忙しく仕事をしている間と云うものは、この人たちの上に、何の暗さもかぶさっては来ないだろうとおもわれます。黒い上っぱりを着た若い女看守のひとが各部屋に一人ずつつきそっているようでした。虫|除《よ》けの薬をいれる、ホドヂンと云うセロファンの薬の袋を貼《は》っているひとたちのなかに、眼鏡《めがね》をかけた赤い着物のおばあさんもいました。
 のし[#「のし」に傍点]を張っている人たち、軍需品だと云う白い小さい布にミシンをあてている人たち、どのひとも、罪を犯してここへ来ているひととはみえない、なごやかな表情ばかりです。
 罪とは何なのだろうとおもえるような気がしてくるそんな明るい部屋のなかでした。この、栃木の女囚の刑務所は、男のひとの参観をゆるさないのだそうで、どこもここも文字通りの女護ヶ島《にょごがしま》なのです。明るい庭さきでは、洗い張り作業をしているひとたちもいました。――昔、何かで読んだ本に、刑務所の食事のことがありましたけれど、菜っぱのことを鳥またぎと云い、昆布のことをどぶ板と云うのだそうで、鳥またぎは鳥もまたいで通るような菜っぱの意味だそうですが、この刑務所はどんな食事をするのかと、わたしはたいへん興味がありました。
 やがて炊事場もみせて戴き、これが今日の食事だと云う食卓もみましたが、やっぱり、何と云っても異常な場所だと云う気持ちだけは感じました。筒型にかためられた茶色の御飯と、味噌汁のようなものと胡麻塩《ごましお》、そんな風な食事でしたが、真面目に務めているひとたちには、時々お三時があると云うことです。不思議に、どのひとも元気そうに太っていて血色がよいのですけれど、どのような食事も実に愉《たの》しいのだそうです。赤い着物から順々に青とか縞《しま》とかによくなってゆくのだそうですが、縞の着物のひとなんか、まるで近所のおかみさんがちょっと手伝いに来たと云う感じでした。
 ここには無期のひともいるのだそうですが、そのひとたちはどんな風な気持ちなのかとおもいます。たった一人で散歩する、金網を板囲いでしきられた遊歩所のようなところもこの建物を囲った石塀《いしべい》のそばにありましたが、狭い金網の中にも青々と雑草が繁っていて、倉庫のようなところに、背の低い真赤なけしの花が一輪|可憐《かれん》に咲いていました。誰も眺める人もないだろう、この石垣のところに、ひょろひょろと咲いている沁《し》みるような赤い花の色は、時々、わたしの花のおもいでのなかへ、鮮やかな色をしてよみがえって来ることでしょう。今朝は浅間《あさま》の噴火の灰がこんなに降りましたと云うことで、庭木にも雑草にも薄白く灰が降りかかっていましたが、そのぽくぽくした灰の色と、この建物は、何だか淋しい対照をみせていました。中庭の柵のなかには、赤ちゃんのおしめが沢山干してあります。さっき独房で、ひとりでのし[#「のし」に傍点]をつくっていた女のひとのかしらと、わたしはその派手な浴衣《ゆかた》のおしめの柄《がら》を一つ一つ眺めていました。
 ここの女囚のひとたちのお風呂場をわたしはみせて貰いましたけれど、これは、石の広い土間の真中に、腰高な矩形《くけい》の浴槽があって、それに背中あわせに三人ずつ、這入るのだそうです。何だか、寺の風呂のようなところでした。ささやかな憩《いこ》いの場所なのですが、こことても時間にきめられて這入るので、世間の風呂好きの女のように勝手にふるまうわけにはゆかないでしょう。務めぶりのよいひとだったら、風呂へ這入れる率も多いのだそうです。わたしは、ここに働いているひとたちをみて、何だかこの償いが済んだら、もう再び罪を犯すようなひとはいないだろうとおもいました。どのひとの顔も将来を愉しみに働いている様子にみえます。ここでは十二時間の勤労だそうですが、勿論《もちろん》働いただけの賃金は、出所する時に貰えるわけです。
 いまのところ、女囚だけの刑務所は、この栃木のと丹後《たんご》の宮津にあるのが有名だそうです。栃木の刑務所には、諸所から来るらしく、女囚の表情や骨格にも、様々な地方色が窺《うかが》えるのでした。性質と犯罪の統計には、狡猾《こうかつ》と云うのが四十二人もあり、怠惰《たいだ》と云うのがたった一人しかありません。温和と云うのが十八人、残忍と云うのが十人、概念的な統計かも知れませんが、女の狡猾と云うのは、ちょっといやな気持ちがします。また、入所時に於ける、教育程度も、高等教育を受けたものはたった一人位で、あとは無筆者が五十三人の多数です。普通教育を受けたものが六十八人、受けないものが六十三人、中等教育を受けた者が八人位だそうです。
 教育のないひとたちの犯罪が如何《いか》に多いかと云うことがよくわかりますけれど、このひとたちの犯罪も、全く、善悪|紙一重《かみひとえ》のふんぎり[#「ふんぎり」に傍点]が利《き》かなかった、ほんのささやかな、くだらないところに、ここへ来る経路が生れたのではないかとおもわれます。
 よく、三面記事のなかに、奉公が厭《いや》だから放火したとか、友達が、自分よりいい着物をきているから人のものを盗んだとか、くだらない女の罪がよくあるものです。
 女性の知性と云うものは、何等《なんら》の膨脹力もなく、男のように根深い力の坐った生活力も、大概《たいがい》は落着のないものだったり、だから、犯罪の動機が、それぞれくだらない感情の発作でおきたようなものばかりじゃないかとおもわれたりします。
 この刑務所は幸福なことに、たいへん明るい庭を持っているし、陽当りのいい窓も沢山持っています。十四,五人も雑居している広い畳敷きの部屋には、青い蒲団が積み重ねてありましたし、部屋の隅には水を入れる大きな壺《つぼ》だの、柄杓《ひしゃく》だの、本をのせる小さい戸棚なんかが置いてありました。雨の日は広い廊下で、ラヂオにあわせて体操をするのだそうです。天気のいい日は倉庫の裏の空地で体操をするのだそうですが、空地の向うには女囚のつくる野菜畑もつくってありました。野菜畑へ出ると、寺の屋根や、よその庭の桜の花もこのひとたちの眼を慰めてくれることでしょう。
 この建物のなかには、小さい床《とこ》の間《ま》を持った部屋があって、時々少年囚に、礼儀作法や活花《いけばな》をここで教えられるのだそうです。少年囚と云うのはここでは少女たちの囚人を指して云うのですが、工場で縫物をしている娘たちのことを考えてみますと、この娘たちの肉親たちは、どんな気持ちでこの娘たちを迎えるのかと考えられてなりません。罪人としては些細《ささい》な罪を犯して来ている人たちばかりかもしれませんが、このひとたちの生涯にとっては些細なものだったと云いきれない色々な気持ちがあるとおもいます。その色々な苦しい気持ちをここで洗い清めて出所して来た人にまで辛くあたる社会であってはならないとわたしはおもうのでした。どんなにでも傍《そば》へ寄ってあげて、わたしたちは、このひとたちを温かくなぐさめてあげるべきだとおもうのです。
 女の刑務所だけは誰もいない刑務所にしたいものです。――教誨師の方たちは十八人も居られるそうでしたが、どのひとも若いひとばかりで暗い感じなんか少しもありませんでした。狭い散歩場に、赤いけしの花が咲いていたけれど、体操の折々あのひとたちは、あの真紅な花をどんな気持ちでながめていることでしょう。



底本:「林芙美子随筆集」岩波文庫、岩波書店
   2003(平成5)年2月14日第1刷発行
底本の親本:「林芙美子全集」文泉堂出版
   1977(昭和52)年
   「林芙美子選集」改造社
   1937(昭和12)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:岡本ゆみ子
校正:noriko saito
2008年3月4日作成
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