いよ。どうせ屋敷で儲《もう》けるからねえ」
「助かりましたわ」
「よろしいよ。小松さんは帰りは遅《おそ》いですか?」
「ええいつも夜になってから……」
「大変ですな。――ところで、石油コンロ買いませんか、金は三度位でよろしいよ」
「ええ……どの位ですウ」
「九拾銭でよろしいよ。元々、便利ですよ」
 朴は冷々と気持ちがいいのであろう、玄関の長い廊下に寝そべって、私が石油コンロを鳴らしている手附《てつき》を見ていた。大分、錆附《さびつ》いてはいたけれど、灰色のエナメルが塗ってあって妙に古風だ。心《しん》に火をつけると、ヴウ……と、まるで下降している飛行機の唸《うな》りのような音を立てる。
「石油そんなに要《い》りません。一|鑵《かん》三月《みつき》もある。私の家もそう」
 石油コンロを置いて朴が帰ると私はその灰色の石油コンロを、台所の部屋の窓ぎわに置いて眺めた。家具と云うものは、どうしてこんなに、人間を慰めてくれるのだろう。

 夕方井戸端で、うどんを茹《ゆ》でた汁を捨てていると、小里氏の子供が走って来て空を見上げた。
「ねえ、小母さん! 飛行機が飛んでらア」
「どこに?」
「ホラ、音がするだろう……」
 私は、空を見上げている子供の頭を撫《な》でていった。
「小母さんところの石油コンロが唸っているのよ、明日お出《い》で、見せて上げるから……」
 そういって聞かせても、子供は、(炭や薪《まき》で煮焚《にた》きしているのであろう、小里氏の屋根の煙を私は毎日見ている)不思議そうに薄暗い空を見上げて、「飛行機じゃないの」といっていた。

     九

 与一は日記をつけることがこまめ[#「こまめ」に傍点]であった。私であったら、馬鹿らしく、なにも書かないでいるだろう、そんな無為《むい》に暮れた日でも、雨だの、晴れだの与一は事務のようにかき込んでいた。
 雨だの晴れだのが毎日続くと、与一自身もやりきれなくなってしまうのか、ついには「蚊帳《かや》が欲しい」とか「我もし王者なりせば[#「我もし王者なりせば」に傍点]と云う広告を街で見る」そんな事などが書き込まれるようになった。
 だが飢える日が鎖《くさり》のように続いた。もうこまめ[#「こまめ」に傍点]な与一も日記をほうりっぱなしにして薄く埃をためておく事が多くなった。
 そうして、日記の白いままに八月に入ったある朝、――跌《つま
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