山の菊五郎のお三輪があどけない姿で踊りをおどつてゐる。――糊壺をかぎながら、もんは、華やかな芝居だの、歸りの電車のなかのことなぞを考へてゐた。自分と結婚をしたいと云つてくれた親切な米倉の思ひ出もいまはなつかしい。
 翌日、もんは遲く眼を覺ました。丁度守一が出勤するところで、机の鏡に向つてネクタイを結んでゐた。もんはふつと躯を起した。長い間の勤めを持つてゐるものゝ癖で、もんはすぐ枕もとの腕時計を眺めた。「どうせ、起きたつて飯もないンですから、ゆつくり寢てゐて下さい」守一はよく眠つた朝の滿足した明るい表情でさつさと身仕度をしてゐる。「えゝ、でも、私もゆつくり寢てなんかいられないのよ。今日あたりからぽつぽつ仕事探しをしようと思つてるンだけど……」「仕事なンかまだいゝでせう。ゆつくり休んでからでもいゝですよ。姉さん一人ぐらひなら、結構食べさしてゆけますよ」「働くのいけないかしら?」氣が弱くなつてゐるので、もんは不安そうにたづねた。さして貯えもないのだし、このまゝ守一の厄介にもなつてはいられないだらう。もんはすぐ起きてガスで湯を沸かした。「お茶ぐらい飮んでいらつしやい。いゝでせう。薔薇の花のはい
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