したら、今度は私が死ぬる番ではないかと冗談を云ひたかつたけれども、もんは不吉な氣がしてその事は默つてゐた。
守一が會社へ出て行くと、もんは自分も仕度をして街へ出て行つた。一日も早く就職して、父親を東京へ呼びたかつた。昨日と今日、新聞を切り拔いておいたところをまはつてみやうと、もんは築地行きの市電へ乘つた。街路樹の枯れ果てた秋の東京の街は銀色にいぶしたやうに白つぽく見える。こんな年になつてからも街に職を探しに出なければならない自分を困つたものだと思ひながらも、もんは、少しばかり晴々した氣持だつた。色があさぐろくて眉の濃いのが情のこまやかな人だのに、あなたばかりはそんなには見えないとよく昔の女友達が云つてゐたけれど、眉の濃いと云ふのが苦になつて、もんは時々毛拔きで眉毛を拔いたりしてゐた。眉毛を拔くときに、細く眼を閉じると、あら、自分にもこんな顏があるのかと、もんは子供のやうにそつと鏡のなかで色々な變化のある表情をしてみる。眼を細めると佛樣のやうな顏になる。ぱつと眼を開くと、よそよそしい表情になつた。笑ひ顏をすると、鼻筋に貧相な皺が寄つた。いまも電車の窓硝子にうつる自分の顏を、もんはぢつと眺めてゐた。昔と違つて、何處へでも勤めようと思へば何處でもつかつてくれる時代で、もんのやうに邦文タイプも出來れば、たどたどしいながらも英文タイプも打てるとなると、勤め口にはさほど困らなかつた。――もんはその日に麹町内幸町の大阪ビルにあるMパルプ工業會社の支店に勤めるやうになつた。昔は、自分のやうな年齡にあるものは傭主の方でみむきもしなかつたものだけれど、いまでは年齡のことなンか苦にしないで何處でも氣樂に働く事が出來た。そのかはり、人の流れも激しいせいなのか、どの社員も新參の人達ばかりで、事務机のまはりは波が動いてゐるやうにざはざはしてゐた。もんの机のまはりにも、九州言葉の娘もおれば、東北なまりの娘もゐた。インクの乾いた硝子瓶が机の中には三ツ四ツごろごろしてゐたし、ペン軸のこはれたのなンかが紙反古といつしよにひきだしの奧にはいつてゐたりする。去つてゆくものゝたしなみのなさが、まるで岩間を突きあたり突きあたり流れてゆく流木のやうにもんには佗しく思へた。こゝには、どんな娘が腰をかけてタイプを叩いてゐたのか、二三日も日がたつてしまへばもう四圍のひとたちはみんなそのおもざしや名前を忘れてしまふの
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