れど、――吉尾さんは、いつたい僕のことをどんな風に云つたのかねえ?」
「どんな風つて‥‥」
「いや、僕の身の上のことに就いてさ‥‥」
「身の上つて、どんな事でせう‥‥」
「吉尾さんは、何だか、僕のことをかばつて、君には何にも話してゐないやうだね‥‥」
「だつて、どんな事を訊くンですの‥‥別に あなたの身の上の事なんか、いまさらどうでもいいぢやありませんか‥‥」
「いや、訊いてゐないとするとよくはないさ‥‥」
絹子は何のことだらうと思ひながらマツチをすつた。青い火が指先きに熱かつた。信一はうまさうに煙草を吸つた。白い煙がすぐ海の方へ消えて行く。
「僕に子供があることを吉尾さんは話したかな」
絹子は、
「えツ」
と息を呑んで信一の顔をみつめた。
「それごらん、――吉尾さんは、そのことを君に話さなかつたンだね?」
信一はさう云つて、黙つて立ちあがると、一人で汀の方へゆつくりゆつくり歩いて行つた。絹子は暫くその後姿を眺めてゐたけれども、何だか信一が嘘をついてゐるやうで仕方がなかつた。でも、子供があると云へば、信一の部屋にはたしかに子供の写真があつたと思へる。机の上だつたかしら、壁だつたかしら、絹子は信一が一度結婚したひとだとは考へてもゐなかつたので、そんな写真には不注意だつたのかも知れない。ちらと眼をかすめた子供の写真は、女の子の顔のやうだつた。
絹子は信一の後を追つて、すぐ走つてゆきたかつたのだけれども、何となく信一をそのまま放つておきたい気持になつてゐた。
あのひとに子供がある‥‥どうしても絹子には信じられなかつた。褞袍を着てインバネスを着て杖をついてゐる後姿がたよりなくふらふらしてゐた。
絹子は煙草やマツチをハンカチに包んで立ちあがると、寒い海風のなかをよろよろと信一の方へ歩いて行つた。信一は小さい声で口笛を吹いてゐた。
「いやよ、そんなに一人で歩いて行つたりして‥‥」
藁小屋のそばにゐる時は、そんなに寒いとも思はなかつたけれども、汀の方へ出てみるとはつと息がとまりさうな寒い風が吹いてゐた。
「風邪をひくといけないから戻りませう」
絹子が信一のインバネスの袖をつかんで小さい声で云つた。誰もゐない浜辺は沙漠のやうに荒涼としてゐる。浜辺近くそそり立つてゐる丘の上には白い灯台が曇つた空へくつきりと浮き立つてゐる。絹子は、信一にたとへ子供があつた処で、それが
前へ
次へ
全10ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング