から話をしようと思つた。登美子が手紙を出してから間もなくである、安並は飛行機で戻つて來た。三年以前とは安並も大分きびしく風貌がかはつてきてゐた。登美子の兩親は、登美子さへ行く氣持になつてくれればと云ふ意向であるらしく、登美子には何もめんだうな事は云はなかつた。
二三日して、安並の落ちついた樣子をみると、登美子が、安並を散歩に誘つた。明治節で何處の家にも國旗が出てゐてきれいな町である。小春日のあたたかい陽が町の後の山脈を銀色に照らしつけてゐた。
魚市場を拔けて、山あひの家々のひばの垣根ぎはの小徑をゆつくり寺の方へ登つてゆきながら、登美子は、安並にこんな事を云つた。
「私はもうおばあさんですよ……」
安並は吃驚したやうにふりかへつたが、急に歩みをとめて、
「ぢやア、僕が杖になつて上げませう」
と云つた。
「あら、もつたいない杖ですのね」
杖になつてもらふつもりではなく、私はもう年をとつてゐるから、貴方の奧さまになる資格はないのですと云ふつもりだつたのだ。安並は登美子のそばへ寄つて來て登美子の右腕をとつた。
腕をとられて、登美子は心のうちで恥づかしさうにうんうん唸つてゐる。胸に激しい動悸が打ちはじめ、何だか、歩くことが出來ないほど、荒々しい感情にとらはれてきた。いつたい、何處から、こんな激しい思ひが湧いてくるのか、自分にもこんな思ひが湧いてくる、火の倉があつたのかと登美子は不思議だつた。
「僕は何も云ふ資格はないかも知れないけれど……」
安並はさう云つて、一番最初の二人のきづな[#「きづな」に傍点]を云ひ出しかけたやうだつたが、何となくわざとらしく考へたのか、話を途中で切つてしまつた。登美子が眞赤になり、腕をぶるぶるふるはしてゐるのが、自分の胸につたはり、もう、それで登美子の心も判つたやうで、安並は安心したやうに右の手で、垣根の草をむしりながら、
「日本の民家の垣根つていいものだなア、こんなさつぱりしたものに少しも氣がつかないで石の塀ばかり、僕は長い間見て暮してゐたンだから……」
登美子はそつと立ちどまると、一度眼を固くつぶつて自分に問ひきかせるやうに、
「何時でも、私、行きます。早く式を濟まして下さるやうに、母さんに、あなたから云つて下さいね……」
と、ぽオつと大きく眼をみひらいて、小さい聲で云つた。寺の五重の塔のところで、晝間の電氣がきらきら光つてゐて子供達がさうざうしくさわいでゐた。
底本:「風琴と魚の町 現代文学選(14)」鎌倉文庫
1946(昭和21)年6月25日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:花田泰治郎
2005年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング