來たいと父をせがんで、お供役に登美子がついてゆく事になつた。さて、話には上海と云ふところを樣々に聞いてゐるけれども、いざ、現實にそこへ行つてみることになると、登美子は上海に就いて段々不安なものを感じて來てもゐる。
 秋で支那の氣候としては一番いいシーズンだつたので、心配をしたほど寒くもなく、安並がとつておいてくれたブロードウヱマンシヨンの八階の部屋に登美子親子は落ちつくことが出來た。時々、母親は思ひ出したやうに、杉枝は亡くなつてからも孝行で、私は杉枝のおかげで支那へ來たやうなものだと冗談まじりに云ふ時があつた。登美子はすつかり上海が好きになり、何か職でもあつたら、二三年とどまつて働いてみたいとも思つたけれど、一ヶ月ほどして杉枝の遺骨をたづさへた安並と、去年の冬生れた赤ん坊とをかかえて、登美子は母と町へ戻つて來た。
 杉枝の赤ん坊はすつかりおばあちやんに氣に入つてしまひ、牛乳の世話から何から、みんな登美子の母がするやうになつた。安並は杉枝のとむらひを濟ませるとまた、一人で上海へ戻つて行つたけれど、それからまた一年は無爲に過ぎてしまつた。或日、與田先生が、興奮したやうな表情で登美子をたづねて來て、安並が、登美子を貰ひたいと云ふ手紙をよこしたけれども、あなたはどう思ひますかと藪から棒に訊きに來た。
「とてもいい手紙なの、安並さんは、是非、登美子さんを貰ひたいンですつて、よかつたら行つてあげて下さい」
「ええ、でも、また、私が敗血症になつてたふれるンぢやア……」
 心のなかでは、安並のところなら遠慮がないし、遠い思ひ出の人として心にのこつてゐる人だつたので行きたいとは思ひながら、登美子はまたこんな意地惡を云つてゐる。
 與田先生はむきになつて怒つて復つて行つた。登美子は與田先生の復つたあと、自分の部屋にはいつて暫く考へこんでゐた。考へがうまくまとまらないので.押入れにはいつて蒲團の上へ這ひあがると、暫く横になつてみた。肩の骨、腰の骨が何となく固くなつてゐる。氣やすく若さと云ふものをみくびつてゐるやうだけれども、自分は、安並に値しない女になつてゐるのかも知れないと思へた。
 安並の爲ならば、たとへどのやうになつてもお嫁にゆきたいと考へるのだけれど、年齡の臆病さなのか、登美子は迷つてばかりゐるのだ。
 いつペん、よく逢つて話をしたいと思つた。手紙を出して、一度復つて貰つて、それ
前へ 次へ
全8ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング