査が來ました。
「おいおい、お前はどこから來たのだ。」
「わたしは汽車に乘って二日がかりでここへ來たのですよ。どこか働くところはないかと思いましてね。」
巡査は帳面を出してかきつけました。
龜さんは汗をふきながら答えました。
そこへ蛙の先生がとほりかかって[#「とほりかかって」はママ]、龜さんを役場まで連れていってくれました。先生は龜さんに同情している樣子です。
「この村のものは、世間のことは何も知らないのですよ。自分たちぐらいえらいものはないとみんな思っているでしょう。田圃に水がはいるころになると、いまに蛙合戰がはじまって、それは大變なことになるンで、わたしはいつもそれがいやで山の奧へ家内と子供を連れて逃げてゆくのです……。」
「ほう、面白いところですね。」
やっと役場の前へ來ると、蛙の先生はまたおめにかかりましょうとかえってゆきました。
むっくり、むっくり、龜さんは蛙の役場へはいってゆきました。村長の部屋の前には龜さんのような旅のものが列をして待っていました。日傘を持った尺取り蟲だの、迷子になった小さい子供蛇だの、籠を背負ったもぐらのお婆さん、帽子をかぶった雀の親子もいました。
龜さんがはいってゆくと、尺取蟲が村長によばれて行きました。
しばらくして尺取蟲の娘さんは眼を泣きはらして出て來ました。それから迷い子の蛇が呼ばれましたが、これもすぐ、二人の番人がおそるおそるついて出て來ましたが、小蛇はみんなの前で金網の中へいれられました。もぐらもちのお婆さんは、みじんこ[#「みじんこ」に傍点]のつくだ煮を村長さんへ贈りものにしたとかで、笑いながら出て來ました。雀の親子は長いあいだぴいちくぴいちく村長さんと話していましたが、これも元氣で出て來ました。
さて龜さんの番です。
龜さんは胸がどきどきしました。どんなことをいって蛙の村長さんに好かれたらよいのかわかりません。
おずおずと村長さんの部屋へはいっていくと、村長さんはメガネをかけて椅子に腰をかけていました。
「へい、わたしは龜池村の龜十と申しますもので、はるばる蛙村へ出掛けてまいったものでございます。」
「ふうん、龜池村というのはどんなところだ。」
「はい、大きい池がございまして、魚がたくさんおりまして、わたしたちは住むところがないもので、こちらに働き口はないかと思ってまいりました。」
「お前さんはどんな演説が出來るかね。」
「演説……。」
「そうだよ。」
「わたしは演説なんか生れて一度もしたことはございません。わたしは、生れるとから[#「生れるとから」はママ]默って働いてきたもので、おしゃべりなぞとても出來ません。」
「この村に來たからには、演説が出來なければ駄目だよ。自分の意見をもたないものは住むことはおことわりだ。」
「それは困りましたね、わたしは只、働く一方で、どうしてもしゃべる事は出來ないのでございますが……。」
龜はお金を持たないので、そのまますごすごと蛙村をたちさらなければなりませんでした。
夜になって、麥畑の上を美しいまんまるいお月さまが光っていました。おなかのすいた龜さんは、むっくり、むっくり、みみずのいたところまでもどって來ました。
「みみずさん、今晩は……。」
「おやおや、どうしたの龜のおじさん。」
「蛙村から追い出されて戻るところだよ。」
「それは氣の毒だなア……。」
「わたしはもう眼がまいそうだ。」
龜のおじさんは荷物をおろして、首も手足もちぢめて石ころの上へしゃがみました。近くでがやがやと蛙の演説がきこえています。
龜さんはかわいた固いこうらをほこりまぶれにして、ぼんやり夢の世界へはいってゆきました。
底本:「童話集 狐物語」國立書院
1947(昭和22)年10月25日発行
入力:林 幸雄
校正:鈴木厚司
2005年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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