[#「ゆく」に傍点]島とも言つたさうだ。ゆく[#「ゆく」に傍点]は鹿の意味ださうである。鹿の多い島で、昔は鹿の皮が貢物の全部であつた時代もあるのださうだ。地圖の上で見る種子島は長い島だが、屋久島は圓い島だ。
朝、五時頃、屋久島が見え始めた。
宮の浦と言ふところの沖合ひへ六時頃着いたが、こゝは棧橋がないので、小さいはしけ[#「はしけ」に傍点]が客を迎へに來た。デッキへ出ると寒いくらゐだつた。島は思つたより屹立して、山々が黒いビロードを被たやうに連なつてゐる。遠く白い砂地のなぎさが見え、レースのやうに波が打ち寄せて、人家はあまり見えない。船着場の岩壁の上に、大きな材木が積んである。
九時頃、やつと、船は安房《あんばう》へ着いた。こゝでも港がないので、照國丸は沖合ひへ停泊するのだ。
凄い山の姿である。うつたうしいほどの曇天に變り、山々の頂には霧がまいてゐた。全く、無數の山岳が重疊と盛り上つてゐる。鬱蒼とした樹林に蔽はれた山々を見てゐると、人間が住んでゐる島なのかと思へるほどだつた。
島には米がないといふので、鹿兒島では米を五升ほど買ひ求めた。二食分の辨當も宿でつくつて貰つたが、私達はあまり食欲はなかつた。船のなかではコヽアを註文したきりである。
下船の支度をしてデッキに出ると、案外早く小さいはしけ[#「はしけ」に傍点]が迎へに出てゐた。照國丸は一週間さきでなければこゝへはやつて來ないのだ。あとは、三百トンくらゐの便船しかないと聞いた。はしけ[#「はしけ」に傍点]に乘りうつると、はしけ[#「はしけ」に傍点]は二十人くらゐの下船のものたちでいつぱいになつた。荷物も人もはしけ[#「はしけ」に傍点]の渡し賃を取られた。三人の船頭が櫓をこいでくれた。安房の港は大きな川の入江にあつて、正面の川の上に素晴しく巨きい吊橋が見えた。なぎさに近づくにつれ、岩礁が點々と波間に見えた。海水は底を透かして澄みわたり、みどり色の海がある。はしけ[#「はしけ」に傍点]はなかなか速くは進まなかつた。川の入江に、景山丸と言ふ三四百トンばかりの白い材木船がもやつてゐるきりだつた。寒い雨氣をふくんだ風が吹きつけてゐた。
やがて、はしけ[#「はしけ」に傍点]は白い砂地へ横づけされた。砂地へ飛び降りて、吊橋へ向つて歩く。吊橋の下を深い淵をなして、上流へ川がくねくねとつゞいてゐた。淵のきはは、こんもり
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