ロッコを殘して貰つた。徳川さんは、紺のレインハットに、ゲートルに地下足袋のいでたちで、私の乘つてゐた座席へ轉《うつ》り、雨の中を私達の乘つて來た機關車は小板谷へ登つて行つた。小板谷へ行つてみたかつたが、寒さがきびしいと聞き、肺炎にでもなつては災難だと、そのまゝトロッコに乘つて山を降りることにした。疊一枚もない、狹いトロッコに、四人が肩を寄せて乘りあつた。若い山の人がトロッコを上手にあやつつてくれた。斷崖絶壁の山徑を、玉轉しのやうに、トロッコは轟々とすさまじい音をたてて降つて行つた。しのつくやうな雨のなかを、濡れながらトロッコは降つて行く。雨傘を一本持つて來てゐたので、それを差してふはふはと傘の柄につかまつてゐるかたちだつた。
昏くなつてから宿へ着く。
ランプの灯の下で火鉢を圍む。風呂をすゝめられるが、熱のためにとりやめ、べとべとした疊に横になる。表の間の税務官吏の部屋は酒宴でも始つたのか賑かである。夕食には、名物の薯燒酎をつけて貰つたが、臭いので誰も飮まなかつた。夜更けになつて、細引を流したやうな雨であつた。雨の中に家ごと沈みこみさうな氣がした。税務官吏は雨の中を、女の迎へで何處かへどやどやと出て行つたが、朝まで戻つて來なかつた。雨の音でなかなか寢つかれない。夜中になつて電氣がついた。しみじみと文明の燈火をみつめる。
朝、雨は降つてゐなかつたが、夕方のやうに昏い空あひであつた。
船着場のトラックの運送店で、バスを交渉して貰つた。まだ買つて十日ばかりになる、一度も使つたことのないバスがあると言ふのだ。安房から、尾《を》の間《あひだ》まで四里の道を、バスで行つてみる計畫をたてた。途中の橋が大分くさつてゐたし、道は田をこねかへしたやうだと聞いたが、勇氣を出して、バスで行くことにした。若い運轉手と、運送店の主人が乘り込んでくれた。幸なことに、空もかつと晴れて來た。乘客は私達三人。道が惡いせゐか、私達は彈き豆のやうに、始終シートから放り出されてゐる。途中で、麥生《むぎふ》へ行く、女づれの客を二人ひろつた。紺がすりを着た飮屋の女らしい。金齒をきらきら光らせて喋つてゐた。素足に下駄をはいてゐた。
左手に見える海は、相當の荒れ模樣で、海原に白波が忙しく走つてゐた。ところどころの麥畑も貧弱である。仁田鑛山の社宅を越して、割合平坦なところをバスは走つたが、すぐまたくさつた橋に
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