頼つて歩きながら、たか子はをかしい程、心《しん》のぬけてゐる自分を感じた。
ボーイが右往左往してゐるので、二人が立つて行つても少しも目立たなかつた。控室の大きな長椅子に腰を降ろして吻つとしてゐると、花聟と花嫁が家族の人達に圍まれてぞろぞろ會場を出て來た。新婚旅行へ出る仕度でもするのだらう、花嫁につきそつて、美容師が三人、花嫁の袂をささげて歩いて來た。登美子の母親の久賀夫人も、佐々博士の小さい奧さんも何かしやべりながら笑つて歩いて來てゐる。
堂助は急に立ちあがると、
「おい、歸らう‥‥」
と云つた。
自動車へ乘ると、こらへ性もなくたか子は顏に半巾をあてた。齒をくひしめても涙がすぐあふれて來る。堂助は袂から煙草を出して、味があるのかないのか、走る窓外を見ながら呆んやり吸つてゐた。さうして、やや暫くしておもひ出したやうに、
「君があの男を愛してゐた氣持ちは、まるで生娘みたいなンだねえ‥‥そんなだとはおもはなかつたよ‥‥」
これからの一生を、こんな心でゐる妻とどうして暮していいのか一寸判らなかつた。たまらないなと思つた。
「そんなに泣くほど切なかつたのかねえ‥‥」
「‥‥‥‥」
「いい年をして‥‥」
いい年をしてと云はれると、たか子はそれが弱點なだけに、無性に腹が立つて來た。あの若い二人は愉し氣にどこへ行くのだらう。窓外の暗い景色の中には、只街の灯しか見えない、自分のそばを走つてゐる自動車が、どれもこれも花聟と花嫁の自動車に見える。
勝手だけれども、こんな時にたよれるのは良人でしかないと云ふことが、たか子にはまた寂しかつた。
家へ歸ると、書齋へ引つこんで森としてゐる良人の前に坐つて、たか子は「ごめんなさい」と云つた。
(ごめんなさいと云ふ言葉はあのひとも云つたが‥‥)
「ごめんなさい‥‥」
「君は正直に、自分の氣持ちをひれき[#「ひれき」に傍点]したまでだよ。あやまられても俺は知らんよ」
知らんよと云はれても一言もなかつた。良人とも別れになるのではないかと思ふと、たか子は、徹男に流した涙とはまた別な涙がこぼれた。――十八の時に結婚して、二十年間何の波風もなく暮らして來たことを考へると、徹男との事は、何の隙間だつたのだらうと不思議におもへて來る。
「かんじんの男が結婚してしまつては何もならんし‥‥俺も、もう、お前と一緒にゐるのは厭だ。俺は朴念仁だから、ケツペ
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