魔物が、とりつくのだからだろうとむつは思いました。
 日曜學校は十疊位の廣さしかない百姓家で、牧師さんは眉毛の長いお爺さんでした。いつも荒地に草花を造っていました。夾竹桃の小さい木も植わっていました。ダリアだの虞美人草だのジギタリスだの植わっていました。土地がやせているので花がみんな小さいのです。教會の先生は町へ行ったのかいませんでした。教會の裏は竹やぶになっていて、鷄小舍のこわれたのや、漬物桶のくさったのや、朽ちた材木などが散らかっていました。竹やぶの中にはしめった風がいっぱいこもっていました。遠くの櫻の木では、若い蝉の聲がジイときこえます。竹やぶの中へ入って行くと、古い竹の皮がたくさんとげとげの草の中へ落ちていました。むつは竹の皮をひろって、町の牛肉屋へ買って貰おうかと思いました。いくらになるのか見當もつきませんでしたが、一錢玉が山のように來るような氣がしました。だけど、落ちている竹の皮は、みんなくさりかけていました。
「仕方がない。」
 そう思って竹やぶを向うがわへ出て行きますと、朽ちてぼろぼろになった風呂桶がありました。むつはその風呂桶を見ると、自分の父親の亡くなった日を思い浮べました。その桶の中へ入ったら父親に逢えるような氣もしました。むつは草をむしって、くさった風呂桶の中へ敷き、やっと背のびをして、そのくさった風呂桶へ入りました。夕陽がちょうどその上に射しこんでいて、涼しい風が頭の上を吹いてゆきます。むつは神樣になるのは、誰にも知られないでこんな所でお祈りしていることだと思いました。
 むつは手を合わせて、風呂桶の中で膝をたてましたが、これではまだ神樣にはなれないと誰か云うようなのです。で、むつは風呂桶から這い出すと、薄い材木をかついで來たり、わらなわを探して來たりして風呂桶のなかで自分の脚と腰をしばり、上へ、材木をならべてふたをしてしまいました。すき間からきれいな陽ざしがむつの體へ降りかかって來ます。むつは大變愉しい氣持ちでした。やがて、いろいろなものがお迎えに來るだろうと思いました。

 むつは何時間かうとうとしたようです。ふと眼を覺しますと、波の音がざアと聞えて來ます。自分は船に乘っているのかと思いました。天井を見ても眞暗でした。ときどき體中に蟲の這いあがるようなかゆさを覺えました。――しばらくぼんやりしていましたが、四圍がしんしんとしているので、體がふるえて仕方がないのです。母さんは怒っているだろうなと思いました。
 やがて、近くの鷄小舍がちょっと騷がしくなると、竹やぶの中へさくさく歩いて來る者がありました。一人の足音ではないようなのです。二人も三人も、四人も、もしかしたら四五十人も竹やぶへ入って來ているのではないかと思う程、がやがやと人間の聲と足音がします。むつは固くなって息をひそめました。山賊が來たのだろうと思いました。晝間あんないたずらをしたから、エス樣が魔物をよこしたのかも知れないと思いました。
「どうぞお許し下さい。もう、あんなことはしませんから、お許し下さい。」
 むつはそんなことを祈りました。その行列は何だか灯をつけているようなのです。がやがや言いながら、行きすぎてしまいましたが、しばらくすると、また二三人の足音がして、ふと、むつの風呂桶の前で止りました。むつは眼を固くとじて死んだまねをしていました。死んだまねをしていたら大丈夫だと思ったのでしょう。天井をはぐる音がして、ちょうちんの灯が風呂桶をのぞきこみました。
「おーい、いたぞオ!」
「おかアやア! むつはいたぞオ。」
 むつはびっくりしてしまいました。足先がぶるぶるふるえ出しました。引っぱり出されたら、どんなに毆られるか判らないと思いました。
「おい、こりゃア、まア、なわでしばられているぞ、どうしたのかや。」
「ほら、これが神がかりとか神隱しとか云うのじゃねえか。」
「怖わがらせちゃいけないよ。脊筋がぞくぞくするよ。」
 むつは、たくさんのちょうちんにまもられて、大きな男の背におぶさって家へ歸りました。家へ歸ってからも眼を固く閉じていました。村のひとが騷いでいるのが面白かったのですけれど、だんだん悲しくなりました。むつの母親はわけのわからないことを叫んで土間を上ったり降りたりしていました。太郎は火がついたように泣いています。むつは顏の上へ水を吹きかけられました。ふと眼をあけると、村中のひとたちがむつの顏をのぞきこんでいました。
 むつは眼をあけると腹がへったと云いました。母親はそば粉をかいて醤油をかけたのをむつの口もとへもって來ました。
「明日は米の飯を食わしてやる。」
 と、母親がふるえこんでいると、隣の茂の婆さんが、卵を飮ましてみろと、言いました。むつはあわてて、卵は嫌いと言いました。
「ま、元氣が出てええ。」
 そう言って、皆が秩序もなくむつへいろいろなことを尋ねるのですが、むつは何を問われても知らぬと言いました。
「まさか、教會の先生が縛ってほうりこんだンじゃあるめえな。」
 と、異人の宗旨を嫌っている疊屋の親爺がこんなことを言いました。するとむつは、教會の先生を惡く云われたことに腹がたってしまって、天狗のようなおじさんが走っているのを見たら、ついて行きたくなったのだと言いました。その天狗のようなひとについて行ってどうしたとたずねられると、もうその先は判らないと言うのです。戸口ががやがやすると、駐在所の巡査と、木内先生が土間へ入って來ました。木内先生はメリンスの帶をおたいこ[#「おたいこ」に傍点]にしめていました。むつの枕元に坐ると、
「どっこも痛くないの?」
 とききました。むつは赤くなりました。先生にうそを言うことだけは神樣をあざむくようで、先生の眼を見ることが出來ませんでした。此一二年、村には變な人間も入りこまないのだし、これは神隱しのたぐいなのだろうと村の人達は言いあいました。むつはむつで、自分もそう思い始めました。――村中はむつの話でまたたくまにシゲキされてゆきました。
 その翌日、むつが入っていたくさった風呂桶に〆なわが張られました。――むつは學校へ行っても子供達に肩を取りまかれて、何度も何度も同じことを聞かれました。むつの母親は、前よりもひんぱんに方々の百姓家から仕事を頼まれましたが、頼まれる先々でむつの神隱しの話をしなければなりませんでした。むつの母親は手仕事を止めて同じことを話しました。



底本:「童話集 狐物語」國立書院
   1947(昭和22)年10月25日発行
入力:林 幸雄
校正:鈴木厚司
2005年5月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング