兩手ですくって口の中へ押しこんでうまいうまいと云いましたが、生唾が出るばかりで、栗まんじゅうの姿が口のそばで消えてしまうのです。ああ、うちの母さんはなぜお金もうけが下手なのだろうと、むつは自分の母親はきっとエス樣に憎まれているのに違いないと思いました。朝早くから、むつの母親は方々の百姓仕事の手傳いに行きました。弟の太郎は臭い鼻汁ばかり出しているし、むつは、大人の口まねで「ええくそいまいましい。」と舌打ちするのでした。學校へは一里もあるので、むつはなんとかかとか云っては休んでばかりいました。むつは三年生です。先生は木内たねと云って、十八ばかりの若い先生でした。紫色のメリンスの袴をしていて袴が長いので、むつは先生の袴の裾をはぐって見て、木内先生から叱られたことがありました。むつは先生の袴の中が不思議で仕方がなかったのです。先生は短い着物だから袴をはくのではないかと思いました。運動場にいる先生の袴は、今のように圓く風でふくらんで、そのむらさきの袴の中から、いっぱい蝶々が出て來るような氣がしてなりませんでした。むつは、雲を見ていると、風は木内先生の袴の中にも住んでいるのかと考えたりしました。木内先生は神樣に違いないはずだのに、木内先生はむつ達がドタンバタンと開けひろげて入る臭い便所にも入って行きました。あんなにきれいな先生が、どうしてむつ達の入る便所へ入るのか判りませんでした。また、木内先生は、むつ達と一緒に晝御飯を食べるのでしたけれども、むつ達と同じように梅干がたびたびついているのです。むつは顏をあげて、木内先生の口もとをじっと視ているのです。あの梅干は金の梅干かも知れないと思いました。
 木内先生はオルガンを彈く事が上手であったし、男の先生たちから大變好かれていて、男の先生達は大掃除の日に、むつ達の掃除をしている運動場でこんなことを云っていました。
「ヴィナスだね。」
「ヴィナスとは何だね。」
「愛の神樣だよ。」
「處女なのか?」
「それは愛の神樣だもの判らないよ、處女じゃないかも知れないよ。」
「木内先生は處女だよ。」
「それはそうだろうね……。」
 むつは、木内先生を神樣だとききましたのでびっくりしました。
 組の子供たちに、木内先生は神樣だよと教えてやりました。子供達は、
「神樣と云うと八幡樣だね。」
「いゝや、いなり[#「いなり」に傍点]さんだよ。」
「木内先生
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