まって歌をうたいました。
[#ここから2字下げ]
とこしえにうつくしき海の国
あらそいをさけ手をつなぎ
海の神に祈る海のはらから
われらたのしくまなび
われらたのしくはたらく海の国
[#ここで字下げ終わり]
女の先生が昆布で出来た楽器を鳴らしています。校長先生は、鯖村で貰った人形と云うものを村の衆にみせました。
「人間というものは尻尾がねえンだな。おかしなものだね。尻尾がないと、こっけいに見えるね。戦争って何だろうね。どうして戦争するンだろうね。いっぺんでいいから、人間の国に遊びに行ってみたいものだね。」
ひらめの村の衆がささやいています。すると、ひらめの村の老村長は、えへんと咳ばらいをして、
「よその世界をのぞきに行くのは地獄に行くようなものです。海の世界ほどよいところはありません。この間も、話にきくと、南に行った鱶村の衆は、人間の戦争を見に行って随分殺ろされたそうです。近々に帰えって来るということです。鱶村の衆でさえ住めないものを、私達がだいそれた事を考えてはいけません。さア、今日の祈りをいたしましょう。」
村の衆も、学校の生徒も、輪になって、暗い海の底で祈りの歌をうたいました。夜がふけてくるにつけ、今夜は月あかりなのでしょうか、海の底がぼおっと明るくなりました。
隣り村のたこさんの部落からもお祈りの声がしています。
魚の国ではどこの部落も、よく神様にお祈りをあげました。神様が、みんなを可愛がって下さるからです。
竜宮の鯛の王様も、お祈りが好きです。ひらめの学校からは、毎年、竜宮へ留学生を出しますけれど、しばらくして戻って来るひらめの学校の生徒は、みんな立派になって戻って来ました。
そして、いつでも村の為になることばかりしよう[#「しよう」は底本では「しょう」]と競走します。魚の国にはお金はないけれど、みんなよく働き、みんな仲よしでした。校長先生はいつも、眼鏡をかけたまま学校のなかをゆらゆら泳いでいらっしゃいます。本当に、その眼鏡はひらめ学校の校長先生にふさわしのものでした。
底本:「林芙美子全集 第15巻」文泉堂出版
1974(昭和52)年4月20日発行
入力:林 幸雄
校正:川向直樹
2004年4月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング