《ゆげ》を上げてプリプリ言っているから、若旦那の幸吉が傍《そば》から心配して、
「おとッつぁん、どうしたのでございます。何か御用でございますか」
「あッ。壁塗りの手間賃《てまちん》のことで、壁辰さんに話すのを忘れたことがあるのだ。ちょっと誰かに使いに行って、呼んで来て貰《もら》いたいと思うのだが、どいつもこいつも喰《く》らい酔《よ》っていて、てんで家にいません。どうもこの頃の奉公人というものは呆れたもので、……」

 壁辰と聞くと、幸吉はうれしさを隠《かく》して、急に進み出て来た。
「わたしは、ちょっと今、手がすいておりますから、それでは、わたしが壁辰の親方を一《ひと》ッ走《ぱし》りに迎いに参りましょうか」
「そうだな。黒門町だから、そう遠いところじゃなし、それじゃあ、幸吉、御苦労だが、そうして貰おうか。なに、おやじが話したいことがあるから、おひまだったら顔を貸して呉れといってな、いっしょに来て貰えばいいのだ。用は大したことではないが、年とると物忘れがひどいから、忘れないうちにと思ってな、それで急いでおりますよ」
 父の幸兵衛の言葉を背中に聞いて、幸吉は、もう自宅の筆屋を走り出ていた。
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