帯屋小路の往来でブラブラ歩いている。
 丸太ン棒に細い枝が一本ついてるような奇妙な、影法師が。
 そいつがこの星明《ほしあか》りに浮かれ出して、フワフワと泳ぎ出したように、風に吹かれて深夜の街を散歩しているのだ。
 他《ほか》でもない……魚心堂先生である。
 詳《くわ》しく説明すると、その人影の幹《みき》とも謂うべき丸太ン棒のような部分が魚心堂先生、それにクッ着いている小枝のようなところは、先生が担《かつ》いでいらっしゃる釣竿《つりざお》である。
 というのは、わが魚心堂先生は、いつもこの釣竿を離したことがない。常住坐臥《じょうじゅうざが》、釣竿と一緒に起き、釣竿と一しょに寝ているのだ。
 それほど魚釣《つり》が好きなのかというと、勿論好きなことも好きなのだが、先生に言わせると、釣りは魚を得るのが目的ではなく、ひとつの澄心《ちょうしん》の修業だとある。
 つまり、魚心堂先生の釣りは、先生の哲学《てつがく》であり、禅《ぜん》であり、思索《しさく》であり、生活である――こういう喧《やか》ましい因《いわ》れから来て、魚心堂先生の名もある訳……。
 神田の真ん中に迂路《うろ》うろしていて、そう釣りの出来るはずもない。
 が、ただ先生は、いま言ったように釣竿をかついでノソノソしていれば気が済むのである。変り者……と言えば変り者に相違ない。一種の心学者、乞食のような生活と、王侯のような心を有《も》った巷《ちまた》の大先生であった。
 居所なども一定していないで、飽くまでルンペン性を発揮し、釣りをする池の傍に一夜を明かしたり、そうかと思うと、空家の押入れに一月も二月も泊ったりしている。
 今なら浮浪罪で挙げられるところだが――その上先生は、大きな樹に登って、その幹《みき》の股に陣どって二晩でも三晩でも眠っているのが常だったというから、この頃アメリカなどで流行《はや》る滞樹上競争は、この魚心堂先生が元祖である。
 伊勢の生れで、れっきとした武家出なのが、何か感ずるところあって――経歴はとにかく、扮装《なり》がまた嬉しい。
 つんつるてんの紺絣《こんがすり》の筒っぽに白木綿《しろもめん》の帯《おび》をグルグル巻きにして冷飯草履《ひやめしぞうり》、いま言ったように釣竿を肩にどこにでも出かける。
 この魚心堂先生が、いつかの晩、先生が悪戯をして喧嘩渡世の茨右近の頭へ釣針を引っかけて糸引き
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