いにとまっている樹の下に立った。
「お魚《さかな》の先生!」
妙な呼名《よびな》だが、変り者同士のことだから、あまりおかしく響かない。
「しッ! 深夜に当って大声を発するとは怪しきやつ」ナニ、自分のほうがよっぽど怪しい。「第一、魚族《ぎょぞく》が逃げるではないか」
大変な学者だけに、魚のことをわざわざ魚族といった。こういう言葉を使って衆愚《しゅうぐ》を感心させるのが、わが魚心堂先生の主義だというのだが、これはどうも当てにはならない。
とにかく、お絃のはなしを聞いては、魚心堂も呑気《のんき》に釣りなどしていられないから、そこで、これだけは柄《がら》になく立派な釣道具をしまいこみ、お絃といっしょに四谷をさして駈け出す。
この、喬之助、魚心堂、お絃の三人組と、天童利根太郎、鏡丹波を頭《かしら》に源助町から押して来た五十七名とが出会ったのが、瘤寺に近い富士見《ふじみ》の馬場《ばば》、ソロソロ東が白もうという頃であった。夜露の野を蹴って乱闘《らんとう》は朝に及ぶ。源助町の勢は驚いたろう。何しろ半九郎方で暴れているはずの神尾喬之助が、いきなりここへ飛び出したのだから――もっとも、こっちがほんとの喬之助なんだから、知っていれば、べつに不思議はないけれど……。
未明《みめい》、さわぎを聞いた御用の者が駈けつけて来て、剣林《けんりん》、勝負をそのままに四散したが、こうして、江戸の春は更《ふ》けて、やがて青葉若葉の初夏となった。本郷追分のさき、うなぎ畷《なわて》と呼ばれるところに、西丸御書院番、長岡頼母の屋敷、全番士が寄り合って対喬之助策協議《たいきょうのすけさくきょうぎ》の最中、あるじの頼母が見つけたのだ。自室の障子に紙札がかかっている。
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┌────┐
│ 忌中 │
└────┘
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……このおれが、生きている死人! とは? 頼母、蒼白になっていた。
ここに居る!
一
あの夜、富士見の馬場の乱闘は、無勝負に終ったのだった。こうだった。喬之助の知らぬうちに、四番首挙げて悦ばせてやろうと、茨右近が独断《どくだん》で、四谷自証院《よつやじしょういん》、瘤寺裏の横地半九郎方へ斬り込んで、居合わせた松原源兵衛をその四番首にした時、先方にも備《そな》えがあって、芝源助町の神保造酒、無形一刀流の道場から、春藤幾久馬
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