》れた。
やきもち坂を登る。脇坂様のお屋敷へ。
七
「ほホゥ、筆幸から献上物《けんじょうもの》とナ」
登城をしない日は、退屈《たいくつ》な一日だ。
市ヶ谷やきもち坂の甲良屋敷である。
西丸御書院番頭脇坂山城守は、ここお上《かみ》やしきの奥まった庭を、ブラブラ散歩していた。
お力士さんのように肥ったからだに、紋服の突《つ》き袖《そで》が似合った。泉水《せんすい》のまわりを歩いているのだ。いい天気だ。金いろの水のような日光が空間《くうかん》を占めて、空は、高く蒼い。草は、みどりの色を増して来ているのだ。山城守は、それが特徴の、面のように無表情な顔を据《す》えて、さっきから、築山の横の同じところをいったり来たりしていた。
空は晴れても、山城守は、気が重いのだった。
気が重い――無理もない。
ところは柳営《りゅうえい》だ。時は元旦だ。あんな事件のあったのは、山城守の責任なのだ。監督不行届《かんとくふゆきとど》きなのだ。よく切腹を仰せ付けられなかった。よく閉門謹慎《へいもんきんしん》で済んだ。が、表面はそれで済んでいるが、内実、山城守のいのちは、兇刃神尾喬之助の逮捕《たいほ》一つにかかっているのだ。つまり、早晩必ず喬之助を捕まえるからというので、切腹を延ばされているのだ。交換条件で命をつないでいるのだ。
喬之助に繩打って、引き据えるか。それとも、自分が腹を切るか……二つに一つだ。山城守は、いても起《た》ってもいられなかった。躍起《やっき》になっていた。
園絵と喬之助の結婚には、じぶんも口をきいた。その園絵のことで、こんな騒動になったのだ。今となって、善悪正邪《ぜんあくせいじゃ》は問題でない。自分としては、組与頭の戸部近江を首にした喬之助の首を、一刻も早く手にしさえすればいいのだ。が、その喬之助の行方《ゆくえ》である。家中の者はもとより、町方にも手を廻《まわ》して、いま、喬之助を狙《ねら》う御用の者は、江戸全市を櫛《くし》の歯のように梳《す》いているはずだ。それでも発見されない。発見されないだけならまだしも、先日はどうだ。この大警戒の真ッ直中で、大迫玄蕃と浅香慶之助と、同番の士が一夜にふたり、喬之助のために首を掻《か》かれている。何だか、他の者も順次に首級を挙げられてついには自分にまで及んで来そうに思われるのだ。
山城守は、じぶんの生首《な
前へ
次へ
全154ページ中90ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング