人が峰づたいの山狩りの汗を洗い、炭やきが、煤煙《すすけ》を落すだけの場所だったが――それがこのごろ、遙か下の町の人々にも知れて来たとみえて、ぽつぽつ入湯の客が登山《のぼ》って来る。遠く、山にとっては外国のようなひびきを持つ、花の都のお江戸からさえも、といっても、月にふたりか三人の逗留客があるにすぎないが、それでも、上って来る者のあるのに不思議はないので、じつはこの猿の湯は、さながら神薬《しんやく》と言っていい霊験《れいげん》を有《も》っているのだ。
 きく。打ち身、切り傷にうそのようにきく。
 たいがいの金創《きんそう》は、三日の入浴で肉が盛り上り、五日で傷口がふさがり、七日でうす皮が張り、十日ですっぱり痛みが除《と》れて、十五日目には跡形もなく、一月もいれば、傷あとを打っても叩いても、何の痛痒《うずき》も感じないという。
 ことに、二つき三月とこの猿の湯に浸《つ》かりあげれば、年どしの季候の変り目に、思い出したようにふる傷が泣くということがない。
 別人のような達者なからだになって山を下りられる――と旅の者の口が披露《ひろ》めて、おのずから諸国へ散ったのであろう。この、幕運ようやく衰えかけて、天下なにとはなしに騒然たる時節である。肩から背へ大きく繃帯して、葛籠笠に顔を包み、山ふじの杖をつく武家すがた。賭場の喧嘩《でいり》で長脇差を喰らったらしいやくざ者など、そういった物凄い手傷者《ておい》が、世をはばかり気に爪さき上り、山へ、この阿弥陀沢へ、と志すのだった。
 相模から登る者は山北路。
 駿河路は、竹の下みちから所領《しょりょう》、中日向《なかひなた》とまわって、
 甲斐筋は、勘治村から道士川を越える。
 その誰もが、傷もつ身。世を忍ぶ面をかくして、山露をしのぐよすがのつづら笠――。
 猿の湯をとりまいて、三国ヶ嶽の麓に唄ができている。
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あみだ上りはみな葛籠笠、どれが様やら主じゃやら
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 で、杣《そま》しか通わなかった道に、湯治客の草鞋のあと繁《しげ》く、今は、阿弥陀沢村の一戸にまあたらしい白木の看板が掲がって――御湯宿、藤屋。
 内湯ではないから、客は、藤屋から山下駄をはいて、小みちづたいに、谷底の猿の湯まで下りるのである。
 だが――。
 文珠屋佐吉は、金創をもつ身体《からだ》ではない。
 桂の枝にぶら下がって、
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