も入れてない八畳の座敷だ。
 年代の山の霧に黒ずんだ建具に、燈りが、赧茶《あかちゃ》けた畳の目を照らして、法外老人の大きな影法師を、床の間から壁へかけて黒ぐろと倒している。
「ほほう。すると、七年目ごとにその三人が、この三国ヶ嶽の頂上で落ち合って、その後の身のありさまを語りあおうと言うのじゃな。ふふむ、そりゃおおいに面白いぞ。」
 円明流から分派して自流を樹《た》て、江戸下谷は練塀小路に、天心法外流の町道場をひらいている弓削法外、柿いろ無地の小袖に、同じ割羽織を重ね、うなずくたびに、合惣《がっそう》にとりあげた銀髪が、ゆさゆさと揺れる。
 法外有法《ほうがいほうあり》――の語から取って法外と号し、流名もこれからきている。
 剃刀《かみそり》を想わせるほそ長い赭顔《しゃがん》に、眼の配りが尋常でないのは、さこそと思わせるものがあった。
「そりゃおおいに面白いて。」
 そう言って、じろり、大次郎を見やって笑ったが、眼だけは笑いに加わらない。
 法外先生の眼は、いつも鋭く凍っていて、かつて笑いというものを知らないのである。
 あけ放した二階縁の手すりに、近ぢかと迫って見える三国ヶ嶽のすがた――山気を孕《はら》んだ風が、濡れた布のように吹き込んできて、あんどんの灯をあおる。
 千浪が、そっと上眼づかいに大次郎を見あげて、
「どういうお話でございましょう。わたくしは、途中から伺いましたので、よくわかりませんけれど――。」
 大次郎は、優しい顔に似げなく額部《ひたい》の照りに面擦れを見せて、黒七子《くろななこ》紋付きの着流し、鍛え抜いた竹刀《しない》のように瘠せた上身を、ぐっと千浪のほうへ向けた。
「弱りましたな。これは、千浪さまにはお耳に入れたくなかったのですが――、御案じなさるといけませんから。」
「かまわぬ。話してやるがよい。」法外は、ちらと、若い二人を見くらべて、「遠からず大次郎を千浪の婿に、ははは、ま、仮祝言《かりしゅうげん》だけでも早うと考えておるわしの心中は、そちらも薄うす知ってであろう。いずれ夫婦《めおと》となるものならば、互いに苦も楽も、何もかも識り合うたがよい。」
 いつからともなく、命までもと深く慕い合っている大次郎と千浪――さきごろから父の許しで、今はいいなずけとなっている二人である。剣腕人物、ふたつながらに師のめがねに協《かな》って、やがてその一人むす
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