、何でも奇抜でさえあればいい、その風変りな点が当りを取って、老人客や、茶人めいたかわり者のあいだに、この伝馬町の文珠屋は、なかなか評判がよく、江戸へ出ればここときめている定連も、かなり尠くないのだった。
 が、女を使わないというだけで、女客を断わるわけではない。事実、急ごしらえの出あい夫婦、つれ込みが、文珠屋の泊り客の過半なので、おんながいないだけに、うしろめたい女客には、かえって気が置けないのかもしれない。
 その、世の中に金以外、女に用のないはずの文珠屋佐吉は、先日旅に出て帰宅《かえ》ってからというものは、めっきり味気ない顔つきで、ことに今日は、じぶんの高札を見てすっかり腐ってしまったと言う。
 いつもは、そんな文珠屋ではないのであるが。
 たとえ鼻の先へ百本千本の十手が飛んでこようとも、どっかり胡坐《あぐら》で吐月峯《はいふき》を叩いていようという親分。高札なんどせせら笑って、かえって面白がってこそ文珠屋なのに。
 ほかに理由《わけ》があると睨んだ与助の推測どおり、心に思っている女があって、善良《まとも》な生活が恋しくなったと言う告白だ。二十七の物思い――鬼瓦の文珠屋が恋風を引き込んだ。
 山だろう――このあいだの山の旅で、何か知らねえが、おんなを見初《みそ》めて来たのだ、と与助、おかしいが笑いもならず、それにしても、いったい何しに山などへ? と胸の隅で不審《いぶか》りながら、
「親分も焼きが廻った。女一匹で善心とやらに立ち返るようじゃあ、あっしもこころ細い。諦めやした。ようがす。あのほうの足アふっつり洗ってみっちりこの宿屋商売に身を入れよう。」
 佐吉の性質を呑みこんでいるだけに、心得たやつで、考えている逆を言う。
 そうあっさり賛成されてみると、佐吉は呆気ない顔つきで、だが、じぶんで言い出したことなので所在なさそうに、
「だからおれあ、稼業のぐあいはどうだと、訊いてるじゃあねえか。」
「へえ。まあ、どうやらどうやら、部屋あ塞がっていますがね――親分、一言伺いやすが、その、旅で、お見そめなすった女ってなあ、この江戸のものでがしょうな。」
 佐吉がくすぐったそうに、
「当りめえよ。それがどうしたと言うんだ。」
「いえねえ、どこの娘――むすめだか女房だか知らねえが、どこの何ものてえことは、わかってるんでごわしょうね。」
「解ってるような、わかってねえような。」

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