かった。
四人の眼前で、藤吉、不思議なことをはじめている。
最初は指で、敷居の縁をしきりにこすって見ている。
つぎに、敷居のそばにぴったり坐り込んで、今度はふところから一、二枚の懐紙を取り出してそれで縁を拭き出したのだ。
何がなんだかわけがわからないで、四人はぼんやり凝視めていると敷居の縁を拭いた紙が黄色く染まって光っているのを、藤吉はとみこう見したのち鼻へ持って行って、
「ふむ、胡麻《ごま》だな――。」文字若を振り返った、「まだ新しいところを見ると、昨日あたり、ここの敷居へ胡麻油を引かなかったか、師匠、お前は知らねえかえ。」
「そう言えば、古い家で建付けが狂っているので戸滑りが悪いとか言って、きのう姉が、じぶんで油壺を持ち歩いて方々の敷居に落して廻っていたようですよ。」
「違えねえ。」
頷いた藤吉は、ちらと勘次に眼配せして退路の障子ぎわを断たせると、ずいと三人の前に立ちはだかって、冷徹な低声だった。
「おうっ、三人とも足を見せてくんな、足をよ。」
唐突にこの奇抜な注文――びっくりしているところ、藤吉はすぐに畳みかけて、
「宙乗りしていた屍骸の足は、たしかに素足だったのう。間違えあるめえのう。」
「とんでもない! 見間違いなど、決してそんなことはございません。はい、わたしもこの宇之吉さんも、はっきり見たんでございますから――へえ、素足でございました。立派にはだし[#「はだし」に傍点]でございました。へえ。」
「そうけえ。その素足の件で、おいらあちっとべえ不審を打《ぶ》ったことがあるんだ。おお、揃って素足になってみな。」
「素足になるんでございますか、私ども三人が。」
おずおず訊き返した初太郎を、藤吉は噛みつくように呶鳴って、
「くでえや! 足袋を脱げ!」
「あっしゃあこのとおり、初めから足袋なんか穿いていやせんが、」宇之吉はまごまごしながら、「この素足を、いってえどうするんでごぜえます。」
「まあ、待っていなせえ――おう、師匠、ついでだ。お前の足も一つ拝ませてもらおうじゃあねえか。」
「ひょんな親分さん! こんな汚ない足でおよろしければ、お安い御用でございますよ。いくらでも御覧なすって――。」
「どうしてどうして、勘の言い草じゃあねえが、弁財天といわれる師匠の足だ。めったに拝見できるもんじゃあねえ。これも岡っ引の役徳で、稼業《しょうべえ》冥利よなあ、師匠。」
「あれ、あんなことを。たんとお弄《からか》いなさいましよ。」
裾を押さえてしゃがんだ文字若は、恥るように笑いながら、足袋を脱いだ。初太郎も、先に足袋を脱いで控えている。
藤吉は黙って、自分の前を示した。
「三人並んで、ここへ足を投げ出しておくんなせえ。おいらあちょっと考えることがあって、足の裏を見てえんだ。」
八
文字若を中に、初太郎と宇之吉が左右に、三人は言われるとおり畳に腰を下ろして、行儀の悪い子供のように、素足を揃えて長く藤吉の方へ突き出した。
「こうでごぜえやすか。」
「何ですか、よっぽど変な御探索でございますねえ。」
実際それは、いかにも奇異な光景だった。大の男ふたりと若い女が、どうなることかと恐しそうに並んで、素の足を投げ出している。文字若の足からは湯文字が溢れて、雪を欺くような肌《はだ》、象牙細工のような指、ほんのり紅をさした爪の色――恥らいを含んで足さきをすぼめた文字若は、絶えず微笑《ほほえみ》を続けていた。
犬のように両手を突いた藤吉である。初太郎と宇之吉の足はざっと見たばかりで、かれの眼は、吸われるように文字若の足の裏に据って、動かない、舐めんばかりに顔を寄せて見入っている。文字若は、嬌態《しな》を作って、足を引っこめようとした。
「ありゃあ、いやですよ、親分さん。」
「まあ、待て。」その足首に藤吉の手がかかった。「変てこれんじゃあねえか。え、こう、弁天様の足のうらにゃ、胡麻の油が付いてるものけえ。」
さっ!――と、文字若の顔から血の気が引いて、藤吉の手を蹴り解いて※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《あが》き起とうとした刹那、
「親分、おっしゃったとおりありやしたよ。」
のそりと彦兵衛がはいって来た。手に、お美野が着て死んでいたのと同じ荒い滝縞の丹前、一連の細引きを持って――、
「彦、そいつあ、師匠の部屋から捜し出して来たか。でかしたぞ――これさ師匠、もう駄目だぜ。種あ上った。直に申し上げりゃあ、お上に御慈悲もあろうてえもんだ。」
くるり着物の裾を捲くってしゃがみ込もうとする藤吉から、文字若は、白紙のような顔になって飛び退《すさ》っていた。
ばた、ばた、ばた!――と二、三歩、歩を返して障子に手がかかる。階下へ、文字若、本性の鉄火性を顕《あらわ》して逃げ伸びようとする。そこを、待ち構えていたよう
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