死ぬだろうなどと、人のことを不吉な、口の悪いことを言っても、彦兵衛は驚きもしなかった。
かすかに、にこりと顔を歪めただけで、相手にならなかった。武右衛門の演技が進むにつれて、藤吉以外の観客の全部は、注意のすべてを高座へ吸われて行った。霰《あられ》のような拍手が、湧いたり消えたりした。
彦が、
「あんなけだものを捕るなあ、骨でがしょうな。捕繩なんざあ、何本でも、固めて引っ切っちまいますぜ。」
藤吉は、聞こえないふうだった。武右衛門がひっ込んで行くと、娘手踊りと銘打った梅の家連中というのが代って、三人の若い女が、高座いっぱいに踊りはじめた。いよいよ詰らなさそうに、藤吉は、場内のあちこちを見まわしていた。
楽屋に通ずる、高座の横の戸があいて、あわてた顔の出方《でかた》のひとりが、現れた。壁ぎわの板廊下を木戸口のほうへ急いだかと思うと、すぐ席主の幸七を呼んで引っ返して来た。何かささやいていて、幸七の顔いろも変っている。誰かを探すように客席を見ていたが、すぐ藤吉を認めて、幸七は、小腰をかがめて近づいて来た。低声に、
「親分、とんでもねえことが起りましたようで、恐れ入りますが、ちょっと楽屋のほうへ――。」
「おいらに用かね?」相変らず藤吉は、物憂そうな眼だった。「喧嘩かい。」
「いえ、ちょうどいいところに親分さんがいらしって下すって、助かりましてございますよ。なんですか、誰か殺《や》られたんだそうで――。」
まわりの者の耳に入れまいとするので、聞き取りにくい声だったが、藤吉も、そこで訊き返してはいられなかった。眼で、彦兵衛に合図をすると、黙って起ち上った。待っていた出方の男と幸七を先に立てて、高座の傍から、楽屋へはいって行った。
右端の一段高いところが、芸人たちが出番を待つ部屋になっていて、取っつきに、裸蝋燭が一本とろとろ燃えていた。それについて、細長い板敷きの廊下がまっすぐ、裏口まで通っている。蝋燭の光が、むこうへ行くほど大きく拡がって、閉めきった部屋の障子がぽうっと白んでいるきりで、足許だけが明るく、宵闇のようなほの暗さが、全体を罩《こ》めていた。
高座から、唄や三味線につれて踊る梅の家連中の女たちの畳を擦る音や、足踏みが聞こえて来るばかりで、楽屋は、しいんとしていた。誰もいない様子だった。
が、若い衆が案内して、その狭い廊下を進んで行くと、真ん中辺からすこ
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