上の橋から船番所の艀舟《はしけ》が出て、二丁ほど川下で水も呑まずに棹にかかった。
が、一切の罪状は、それより先に越後上布の清二郎が藤吉の吟味で泥を吐いていた。
三年前に徳撰の店へ寄った時、今度は北へ足を向けるというのを幸いと、日陰者の一子徳松の行方捜査を、撰十はくれぐれも清二郎に頼んだのであった。それもただ仙台石の巻のお冬徳松の母子としかわかっていないので、この探索は何の功をも奏すはずがなかった。で、三年越しに江戸の土を踏んだ清二郎は、失望を齎《もたら》して、撰十を訪れ苦心談を夕方まで続けて帰途についたのだった。その、奥座敷の密談を、ふと小耳に挾んで、驚きかつ喜んだのは荷方の仙太郎であった。
星月夜の宮城の原で、盆の上のもの言いから、取上婆さんのお冬の父無《ててな》し児がら[#「がら」に傍点]松という遊び仲間を殺《あや》めて江戸へ出て来た仙太郎は、細く長くという心願から、外神田の上総屋を通してこの徳撰の店へ住み込んだのだったが、そのがら[#「がら」に傍点]松が主人撰十の唯一の相続人たる徳松であろうとは、彼もつい昨日まで夢にも知らなかったのである。が、秘密がわかるのと悪計が胸に浮ぶのとはほとんど同時だった。これだけの店の大旦那と立てられて、絹物《おかいこ》ぐるみで遊んでくらせる生涯が、走馬燈のように彼の眼前を横ぎった。歳恰好から身柄といい、がら[#「がら」に傍点]松と彼とは生き写しだった。今様《いまよう》天一坊《てんいちぼう》という古い手を仙太郎は思いついたのである。善は急げと、折柄の忙しさに紛れて彼は帰り行く上布屋清二郎の後を追い、新右衛門町の蕎麦屋へ連れ込んで一伍一什《いちぶしじゅう》を打ち明けた後、左袒方《さたんかた》を依頼したのであった。
初めの内こそ御法度《ごはっと》を真向《まっこう》に、横に首を振り続けている清二郎も、古傷まで知らせた上は返答によって生命をもらうという仙太郎の脅しと、なによりもたんまり謝礼の約束に眼が晦《くら》んで、あげくの果てに蒼い顔して承知したのであった。
いよいよ話が決まるまでは、奉公人の眼はできるだけ避けたがよかろうと、丑満《うしみつ》の刻を喋《しめ》し合わせた二人は、まず清二郎が庭先へ忍んで撰十を置場へ誘《おび》き入れ、そこで改めて仙太郎を徳松に仕立てて、父子の名乗りをさせたまではよかったものの一時は涙を流して悦んだ撰十
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