っぽこが果して勘次の推測どおり、唐の草根木皮《そうこんもくひ》の一種を意味していたものか、あるいはたんに卑俗な発音語に過ぎなかったものか、そこらは彦兵衛自身もしかとはきめていないようだった。この男には大分非人の血が混っているとは、口さがない一般の取沙汰であったが、勘次も藤吉も知らぬ顔をしていたばかりか、当人の彦兵衛はただにやにや[#「にやにや」に傍点]笑っているだけで、頭《てん》から問題にしていないらしかった。
 薬研堀《やげんぼり》べったら[#「べったら」に傍点]市も二旬の内に迫ったきょうこのごろは、朝な朝なの外出に白い柱を踏むことも珍しくなかったが、ことにこの冬になってから一番寒いある日の、薄氷さえ張った夜の引明け七つ半という時刻であった。出入先の同心の家で、ほとんど一夜を語り明かした藤吉は、八丁堀の合点長屋へ帰って来ると間もなく、前後も不覚に鼾《いびき》を掻き始めたその寝入り端《ばな》を、逆さに扱《しご》くようにあわただしく叩き起されたのであった。
「親――親分え、具足町《ぐそくちょう》の徳撰《とくせん》の――若えもんでごぜえます。ちょっとお開けなすって下せえまし。とんでもねえことが起りましただよ、え、もし、藤吉の親分え。」
 女手のない気易さに、こんな時は藤吉自身が格子元の下駄脱ぎへ降りて来て、立付けの悪い戸をがたぴし[#「がたぴし」に傍点]開けるのがきまりになっていた。納戸《なんど》の三畳に煎餅蒲団《せんべいぶとん》を被って、勘弁勘次は馬のようにぐっすり[#「ぐっすり」に傍点]寝込んでいた。
「はい、はい、徳撰さんのどなたですい? はい、今開けやすよ、はい、はい。」
 寝巻きの上へどてら[#「どてら」に傍点]を羽織ったまま、上り框と沓脱ぎへ片足ずつ載せた藤吉は、商売柄こうした場合悪い顔もできずに、手がかりのよくない千本格子を力任せに引き開けようとした。音もなくいつの間にか、背後に彦兵衛が立っていた。両手を懐中から顎のところへ覗かせて、彼は寝呆けたようににやにや[#「にやにや」に傍点]していたが、
「親分。」
 と唸るように言った。
「何だ?」
「お寝間へお帰んなせえよ。徳撰の用はあっしが聞取りをやらかすとしよう。」
「まあ、いいやな。」
 と、一尺ほどまた力を入れて右へ引いた戸の隙間から、頭へ雪の花弁《はなびら》を被って、黒い影が前倒《のめ》るように飛び込
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