ていますと……。
 ある日のこと。庭の隅がガヤガヤするから、武者塀の上からヒョイとのぞいて見ると、注連縄を張りめぐらし、ありがたそうに鍬を拝んで……お鍬祭。
 ふしぎなことをすると思った与の公、とび帰って峰丹波に報告する。
 さすがは、不知火流の師範代として、智も略もある人物。じっと眼をつぶってしばらく考えていたが、
「与吉、すまぬが、すぐに草鞋《わらじ》だ」
「ヘエ、あっしがはきますんで。だが、どっちの方角へ向けてネ?」
「ウム、今日にも林念寺の屋敷から、国おもて柳生藩をさして、急使がたつに相違ない。貴様、そのあとをつけてナ、ようすをさぐるのじゃ。源三郎の兄対馬守が出府するようなことがあっては、当方にとってこのうえもない痛手じゃからのう」
 みなまで聞かずに、気も足も早い与吉|兄哥《あにい》、オイきたとばかり、すぐその場からお尻をはしょって、東海道をくだってきたのです。

   旅《たび》は道《みち》づれ


       一

 一本道の街道筋。
 チラホラ先へ行く旅人のなかに壺をしょって、恐ろしく早足にすっとんで行く若党姿を認めたのは与吉が六郷の川を渡って、川崎の宿へはいりかけたころだった。
 たびたびのことで懲《こ》りているから、それをけっしてほん物のこけ猿だとは思わないが。
 なにしろマア、ここでひさしぶりに茶壺らしい物を拝むとは、幸先《さいさき》がいい。おおぜいの人数で、大さわぎしてまもって行く壺こそ、贋物かもしれねえが、こうやって若党一人が、何気なく見せかけて、ヒョイと肩へかついでゆく壺……こいつはおおいに怪しいぞ。
 芝居気のあるやつで、道の真ん中に立ち止まり、左の袖口へ右手を入れて、沈思黙考の体よろしく、与の公、首をひねったものだ。
 それから。
 腰の手拭をバラリと抜いて、スットコかぶり、あんまり相のよくない風態です。
 すたすたと足を早めたまではいいが、先方の若党も、おっそろしく足がきく。
 はじめ、与吉の考えでは。
 柳生藩の急使という以上、すくなくとも五人や十人の供を連れて宿継ぎの駕籠かなにかで、ホイ! 駕籠! ホイ! とばかり、五十三次を飛ばして行くに相違ない。
 自分はひとまずさきに街道へ出て、どこかの立場茶屋にでも腰をかけ、眼を光らせていれば、金輪際にがしっこはないのだ。見つけしだい、あとをつければいいと、そう思って、柳生の使いより先に旅に出たつもりなのだが……。
 いくら振りかえっても、早駕籠はおろか、急使らしいもののかげも見えない。
 ハテナ?
 と与の公、小首をかしげたとたんに、六郷の宿で、この、さきへ行く壺の姿を見つけたというわけなんだ。
 儀作の足も早いが、与吉の韋駄天は有名なものです。
 今まで毎々《まいまい》ヤバイからだになって、一晩のうちに何十里と、江戸を離れてしまわなければならない必要にせまられるから、いやでも応でも、早足は渡世道具のひとつ。
 で……やっと追いついたのが、この神奈川の腰かけ茶屋。
「おやすみなさいやアせ」
「何を言やアがる。やすむなといったって、おいらアこの家に用があるんだ。今ここへ、茶壺がへえったろう」
 オットットット! 口をおさえた与吉、見ると、土間をつっきった奥の腰かけに、その茶壺のつつみをそばに引きつけた若党が、渋茶か何かで咽喉をうるおしているから、イヤ、与の公、ことごとくよろこんじまって、
「これは、どうも。よい風が吹きますなあ。そのお腰かけの端のほうを、あっしにも拝借させていただきやしょう」
 口のうまいやつで、そんなことを言いながら、
「あれが安房《あわ》上総《かずさ》の山々、イヤ、絵にかいたような景色とは、このことでしょうナ。海てエものは、いつ見ても気持のいいもので」
 一人でしゃべりちらして、海にみとれるふう……かたわらにある儀作の飲みかけの茶碗をとって、口に持ってゆこうとする。儀作がおどろいて、
「ああもしもし、それは私の茶碗だが――」
「オヤ! そうでしたね。イヤ、これはとんだ粗忽《そこつ》を。だがね、あなた様のお飲みかけなら、あっしは、ちっともきたないとは思いません。イエ、お流れをちょうだいいたしたいくらいのもので」
「何をつまらんことを言いなさる。ソレ、お前さんの茶碗は、ここにあるよ」

       二

「なるほど、あらそわれねえものだ。あっしの茶碗は、ちゃんとここにあらアヘヘヘヘ」
 なんかと与の公、何があらそわれねえものなのか……しきりに感心している。
 ガブリとひとつ茶を飲んで、何やかや一人で弁じだした。
 口前《くちまえ》ひとつで人にとりいることは、天才といっていいほどの鼓の与吉。
 武家奉公で世間もせまく、年も若い儀作は、これが機会《しお》となって、うまうままるめこまれたと見える。
「旅は道づれ、世は情けてえことがあり
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