を――」
と大之進は、高縁の階《きざはし》をあがって、つぎの間の障子をあけた。
書院造りの居間。
柳生家江戸家老、田丸主水正は、鼈甲《べっこう》縁の眼鏡を額部《ひたい》へ押しあげて何か書見をしていた経机から、大之進のほうを振りかえった。
「オ、なんじゃ。そんなうすぎたないものを座敷に持ちこみおって……」
と小言をいいかけた主水正、二度見なおして、イヤ、驚きましたネ。
驚くわけです。
夢にも忘れないこけ猿の茶壺……主水正は、操り人形が糸につられるように踊るように、両手を空《くう》に泳がせて、フワフワッとたちあがろうとした。
「こ、これ、とうとう――お壺を、手に入れてくれたか、いや、でかした、でかしたぞ! 大之進」
「いえ、御家老、落ちついてください。何者が、いかなる考えあっての仕業かは存じませんが、昨夜お庭へ忍びこんで、この壺を縄で松の木へぶらさげたやつがあるんです。いま見つけて、大騒ぎをしたうえあけてみましたところが……」
「ウム! はいっておったか?」
「ですから、落ちついてくださいと申しあげるのです。何もはいっておりませぬ」
「ナニ、壺はから……!」
夢みるように、じっと考えていた田丸主水正――すると、です。たちまち、ニッと微笑を洩らしたかと思うと、
「ハハア、そうか」
ここに越前守、愚楽、吉宗公の三人と同じ言葉をつぶやいた田丸老人、きっと高大之進へ眼をすえて、
「蓋がないではないか、これ、この壺の蓋はどうした」
急にあわてだした家老のようすに、大之進もいっしょにあわてて、
「蓋……と。蓋などは、さっき捨ててしまいましたが――」
「ナ、何? 壺の蓋をすてたと? 馬鹿者めッ! 棄てたとて、まだお庭にころがっておろう。早々《そうそう》に拾ってまいれ、痴《たわ》けがッ!」
はッ!――とお辞儀をしようとした大之進、なんだか懐中に硬《こわ》ばった物がはいっているから、フト思い出して、
「あ! ここにございました。手前、受けとって懐中へ入れてまいりましたのを、とんと失念。とんだ粗忽をいたしました」
「言い訳はよい。出しなさい、早く」
こんな壺の蓋なんか、どうでもよさそうなものだのに、お爺さん、年のせいでどうかしてるな――と大之進、心中おかしくてたまらないが、相手が家老ですから、
「中がからっぽで、おまけに蓋がなければ、これこそほんとに身も蓋もない――あ
前へ
次へ
全215ページ中50ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング