とき取った蓋を、そのまままだ右手に持っていらっしゃる。
「ウム、これが――これがどういたした」
 と吉宗は、つくづくその蓋をみつめている。
 御存じのとおり、茶壺の蓋は、木をまるくけずったものであります。それに、奉書の紙が、一枚一枚と貼りかためてある。
「別になんの奇もない、ただの茶壺の蓋ではないか」
 と吉宗は、それをポンと畳へほうり出した。蓋は、ころころと輪をえがいてころがりながら、越前守の膝先へ来て、ピタリと倒れた。
 手にとった忠相は、おそるおそる口を開いて、
「毎年、新茶の候になりますと、諸藩から茶壺を宇治の茶匠へつかわします。茶匠はなかなか権威のありますもので、おあずかり申した諸侯のお茶壺を、それぞれ棚がありまして、それへ飾っておくのでございますが、そのとき……」
 と、ひとくさり茶壺の説明をはじめました。
 ひっそりとした大奥の夜気に、太い、おちつきはらった越前守の声が、静かな波紋をえがく。吉宗も愚楽も、いつのまにか緊張して、聞き入っています。

   宇治《うじ》は茶《ちゃ》どころ


       一

 越前守は、静かな声でつづけて、
「御存じのとおり、茶壺にはいろいろの焼きがございますが、各大名の壺をあずかりました茶匠においては、禄高、城中の席順に関係なく、壺の善悪《よしあし》によって、棚の順位を決めるのでござります。いかに大藩の茶壺でも、壺そのものが名品でなければ、上位には据えられませぬ。また、小藩の茶壺なりとも、名器でござりますれば、上位を与えられますのが、これが、宇治の茶匠の一つの権威とでも申しましょうか? イヤ、上様の前をはばかりもせず、先刻御承知のことを、かように談義めかしておそれ入りまする」
 ひれ伏そうとする忠相を、愚楽老人がそばから、制するような手つきとともに、
「イヤ、話にはおのずと、順序というものがござる、かまわずお続けめされい」
 吉宗様も、ニッコリおうなずきになって、
「それで?」
 と、うながされる。
「ハッ……それで、各大名は、おのずと壺の順位を争いまして、万金を投じて伝来の茶壺をあがない求めまするありさま。かくして、新茶が詰まりますまで、壺はその宇治の茶匠のもとに、飾られてあるのでございます」
「すると、このこけ猿の茶壺も、柳生藩から毎年、その新茶を入れに宇治の茶匠へつかわされたものであろうかの?」
 上様の御下問
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