ニヤした愚楽老人、
「上様、おたずね申しあげます」
「ウ? なんじゃ」
「およそ紙きれなどを壺にかくすといたしますれば、まず、どこでございましょうな?」
「何をいう。壺に封じこめる――つまり、壺の中に決まっておるではないか」
「それが、ソノ、なんども申すとおり、はいっておりませんので」
「それならば、はじめからないのであろう」
「サ、そこです。とそう、私も考えましたが、いま一度お考え願えませんでしょうか」
「ウム、わかった! ハハハハハ、わかったぞ」
 眼をかがやかした吉宗公は、力をこめて小膝を打ちながら、
「二重底だな?」
 越前守と愚楽老人は、チラと眼を見かわす。
 沈黙におちると、もう夜のふけわたったことが、錐《きり》で耳を刺すように、しんしんと感じられます。おそば御用、近侍の者たち、ことごとく遠ざけられて、今この御寝《ぎょしん》の間に額を集めているのは、八代将軍吉宗様を中に、天下ごめんの垢すり旗本愚楽さんと、今をときめく南のお奉行大岡忠相の三人のみ。
 黒地《くろじ》金蒔絵《きんまきえ》のお燭台の灯が、三つの影法師をひとつに集めて、大きく黒く、畳から壁へかけてゆれ倒している。
 一|町奉行《まちぶぎょう》が、いかに重大な事件だからといって、夜間《やかん》将軍と膝をつきあわせて話すということなどは絶対にない……ナンテことは言いッこなし。物には例外というものがある。これがその、最も意外な例外の場合のひとつなので……正史には出ておりませんけど、このときの三人の真剣さは、じっさいたいへんなものでございました。
 愚楽老人の眼くばせを受けて、越前守は、壺の風呂敷をとき、古色蒼然たる桐の箱を取り出した。
 時代で黒光りがしている。やがてその蓋を取りのぞき、そっと御前に出したのは、すがり[#「すがり」に傍点]という赤の絹紐の網のかかった、これぞ、まぎれもないこけ猿の茶壺……。
 多くの人をさわがせ、世に荒波をかきたてたとも見えず、何事も知らぬ顔にヒッソリと静まり返っているところは、さすが大名物《おおめいぶつ》だけに、にくらしいほどのおちつきと、品位。
 人に頭をさげさせるだけで、自分の頭をさげたことのない八|代《だい》有徳院《うとくいん》殿も、このとき、このこけ[#「こけ」に傍点]猿に面と向かったときだけは、おのずと頭のさがるのをおぼえたと申し伝えられております。
 ウー
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