くように……と言われたとき、お美夜ちゃんは恐ろしさにふるえあがってしまった。
ほんとに、どうしたらいいだろうと、作爺さんに相談してみたところが、そりゃあお前、どんなことをしても行かなくっちゃアならない。泰軒小父ちゃんと、チョビ安兄ちゃんのために――。
「泰軒小父ちゃんと、あのチョビ安兄ちゃんのためだもの」
後ろには、自分の背《せい》ほどもある、重い重い壺の箱をしょい、前には、これもやはり自分の背ほどもある小田原提灯をぶらさげたお美夜ちゃんが、深夜の町を、一人トボトボ歩きながら、たえず、呪文のように口の中にくりかえしたのは、この言葉だった。泰軒小父ちゃんと、チョビ安兄ちゃんのため……。
そうすると、小さなお美夜ちゃんに、ふしぎに、大きな力がわくのだった。
物心ついてから、竜泉寺《りゅうせんじ》のとんがり長屋しか知らないお美夜ちゃん。
桜田門なんて、まるで唐天竺《からてんじく》のような気がする。
何百里あるのかしら。
何千里あるのかしら。
江戸に、こんな静かなところがあろうとは、お美夜ちゃんは、今まで知らなかった。まるで死のような町。
白壁の塀が、とても長くつづいていたり、その中からのぞいている銀杏《いちょう》の樹を、お化けではないかと思ったり、按摩《あんま》師の笛が通ったり、夜泣きうどんと道連れになったり――。
人にきききき、やっとのことで桜田門という辺まで来てみると、まっ暗な中に大きなお屋敷がズラリと並んでいて、とほうにくれたお美夜ちゃんの前に、このとき、左右から六尺棒をつき出して、
「コラッ、小娘、どこへゆく」
と、誰何《すいか》したのが、越前守手付きの作三郎、重内の二人、不審訊問というやつだ。
お美夜ちゃんはわるびれない。
「あたいね、南のお奉行様のところへ行くんだけど、小父《おじ》ちゃん、お奉行様のお家《うち》知らない?」
「なんと御同役、お聞きなされたか。あきれたものではござらぬか。ヤイヤイ、小娘、ここが、そのお奉行様のお屋敷だが……」
「ナラ、どっちの小父ちゃんがお奉行様? この人? この人?」
「イヤ、これはどうも恐れいった。お奉行様が小倉の袴の股立ちをとって、六尺棒を斜《しゃ》にかまえて、夜風に吹かれて立ってるかッてンだ。相当|奇抜《きばつ》な娘だナ、こいつは」
取りつく島がなくなって、両手を眼に、メソメソ泣き出したお美夜ちゃ
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