戸へ出てまいれと、それでそちを迎いによこしたのか」
「ヘイ、至急に御下向をわずらわしたいと、手前お迎いのお使いなので」
「出てきたからよいではないか。ここはもう程ケ谷じゃ。江戸はつい眼と鼻のあいだ……江戸へ近づけば、日光へも近うなる……」
家老田丸に会えば、すべてがわかることだが……かならずこの裏には、おためごかしの公儀の手が、働いているにきまっているぞ――。
壺の財産が見つかった……どんなにおよろこびになるかと思いのほか、対馬守はだんだん蒼白に顔色を変じて、両手がブルブルとふるえてくる。いつもの癇癖《かんぺき》がつのるようすだから、お側の者は、どうしたことかとサッパリわけが解らない……鳴りをしずめています。
「エエイッ! 徳川を相手にするには、どこまでも狐と狸のだまし合いのようなものじゃ」
人に聞かれては容易ならぬ言葉! 列座が、恐ろしさに色を失ったとたん、脇息を蹴たおしてつったちあがった対馬守、
「一風宗匠は、まだ起きておるであろうナ。コレ、案内せエ、宗匠の部屋へ!」
その瞬間です。
本陣前の程ケ谷宿の大通りを冴えた三味の音とともに、アレ、たかだかと流してくる唄声が……。
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「尺取り虫、虫
尺取れ寸とれ
足のさきから頭まで
尺を取ったら命取れ」
[#ここで字下げ終わり]
ああして与吉と会ったとき、あくまで知らぬ存ぜぬとしらをきりそうに見えたお藤姐御、あれから、どういう話になったものか、今こうして連れだった与吉とお藤、灯のもれる宿場町を、仲よく、唄と三味と、三味と唄と、流してゆきます。
と、何を思ったか与の公、いちだんと大声を張りあげて、
「さわるまいぞエ、手を出しゃ痛い……」
「シッ!」
姐御が制した。撥《ばち》をあげて。
七
櫛巻お藤の心では。
アアもうフツフツいやだ。うるさいことは……。
思う左膳は、壺とやらのとりあいから、どこかの道場のお嬢さんを見そめて、あんなにつくす自分の親切も通らず、一つ屋根の下に住んでいても、いまだに赤の他人――
おまけにあの朝、顔色を変えてチョビ安ともども、駈け出して行ったきり、なしのつぶてである。
「エエ馬鹿らしい! どうしてあたしは、あんな、能といっては人を斬る以外、なんの取りえもない左膳の殿様なんかが、こんなにすきになってしまったんだろう。自分ながら因果な性分だ
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