作が心を配って行くと、
「オヤッ! あれはッ!」
不意に手をあげて、与の公、前方《まえ》を指さした。
「なんじゃ! 何が見える」
儀作がつりこまれて、爪立《つまだ》ちして道のむこうを望み見たとき。パッともと来たほうへかけだしたんです、与吉の野郎。
鎧櫃《よろいびつ》
一
あれから、何日たったろう。
それとも、もう十何日?
とにかく……。
今になっても、柳生源三郎が現われないところをみると、あのとき、あの穴の底で三方子川の水にひたされて、お陀仏になったにきまっている――。
とは、峰丹波一味の、たれしも思うところ。
「ああ、自分ほどあわれなものがあろうか。恋しいと思う人を、あんな手段で亡きものにしなければならなかったとは」
かってな人もあったもので、こんなことを考えてひとりふさいでいるのは、司馬十方斎先生の御後室、お蓮様。
「でも、あの方もあまり強情すぎたから、こんなことになったんだわ」
胸に問い、胸に答えて、このごろは部屋にとじこもって考えこんでばかりである。
ふしぎなのは、同じ屋敷内の奥まった部屋部屋にがんばっている安積玄心斎、谷大八等、伊賀から婿入り道中にくっついてきた連中です。
主君の仇敵《かたき》は、同じ邸内のこの丹波とお蓮様の一味とわかっているはずなのに。
源三郎はいてもいなくても、同じことだと言わぬばかり、なんのかわりごともなかったかのごとく、今までと同じく朝夕を続けているだけ。
渋江の寮の火事から、この妻恋坂の道場へ引きあげた当座は、今にも、奥座敷の伊賀侍から斬り込みがくるかと、日夜刀の目釘を湿し、用心をおこたらなかった丹波の一党も、何日過ぎてもなんのこともないので、だんだん気がゆるみ、
「柳生一刀流などと申しても、しょせんは、一人二人の秀抜な剣士をとり巻く烏合《うごう》の勢にすぎぬとみえますなあ」
「さようさ。まず柳生対馬守と源三郎、恐るべきはあの兄弟だけで、ほかには骨のある者ひとりもおらぬとみえる。主人に害を加えたは、われらとわかっておっても、復仇《ふっきゅう》ひとつくわだてるではなし、ああやってのんべんだらり[#「のんべんだらり」に傍点]と日を送っているとは、イヤハヤ、見さげはてた腰ぬけの寄りじゃテ」
「ひとつ、笑ってやれ、そうじゃ、皆そろって、笑ってくれようではござらぬか」
などと、ものずき
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