スイと横にそらしてしまうんです。
 柳生流の奥ゆるしにある有名な銀杏返《いちょうがえ》しの一手。
 銀杏返しといっても、意気筋なんじゃあない。ひどく不《ぶ》意気な剣術のほうで、秋、銀杏の大樹の下に立って、パラパラと落ちてくる金扇《きんせん》の葉を、肘ひとつでことごとく横に払って、一つも身に受けないという……。

   尺取《しゃくと》り横町《よこちょう》


       一

 なんでも芸はそうで、ちょいと頭をだすまでには、なみたいていのことではございません。人の知らない苦労がある。それがわかるには、同じ段階と申しますか、そこまで来てみなければ、こればっかりは金輪際《こんりんざい》わかりっこないものだそうで、そうして、その苦労がわかってくると、なんだかんだと人のことをいえなくなってしまう。なんでも芸事は、そうしたものだと聞いております。
 いま、仮りに。
 この峰丹波が、あんまり剣術のほうの心得のない人だったら、オヤ! 植木屋のやつ、はずみで巧く避けやがったナ、ぐらいのことで、格別驚かなかったかも知れない。
 が、なにしろ、峰丹波ともあろう人。
 剣のことなら、他流《たりゅう》にまですべて通じているから、今その小柄がツーイと流れて、石燈籠の胴《どう》ッ腹《ぱら》へぶつかって撥《は》ねかえったのを見ると、丹波、まっ青になった。
「ウーム!」
 と呻《うめ》いて、縁に棒立ちです。
 植木屋は?
 と見ると、その蒼白い顔を、相変わらずニコニコさせて、萩乃とお蓮さまへ目礼、スタスタ行っちまおうとするから、丹波、こんどはあわてて、
「お待ちを……ちょっとお待ちを願います」
 ことばづかいまで一変、ピタリ縁にすわって、
「まさか、あなた様は――?」
 恐怖と混迷で、丹波の顔は汗だ。
 お蓮さまと萩乃は、おんなのことで、剣術なんかわからないから、小柄が横にそれただけのことで、この傲岸《ごうがん》な丹波が、どうしてこう急に恐れ入ったのだろう……何かこの植木屋、おまじないでもしたのかしら、と、ふしぎに思って見ている。
「柳生流をあれだけお使いなさるお方は……」
 と、丹波小首を捻《ひね》って、
「ほかにあろうとは思われませぬ。違いましたら、ごめんこうむるといたしまして、もしかあなたさまは、あの――イヤ、しかし、さようなことがあろうはずはござらぬ。御尊名を……ぜひ御尊名を伺わせていた
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