い藩を順に指名して、この日光山大修復のことに当たらせ、そのつもった金を吐きださせようという魂胆であった。
 いわば、出来ごころ防止策。
 だから、この二十年目の東照宮修営を命じられると、どんな肥《ふと》った藩でも、一度でげっそり痩《や》せてしまう。
 大名連中、「日光お直し」というと天下の貧乏籤《びんぼうくじ》、引き当てねばよいが……と、ビクビクものであった。
 でき得べくんば、他人《よそ》さまへ――という肚《はら》を、みんなが持っている。で、二十年目が近づくと、各藩とも金を隠し、日本中の貧乏をひとりで背負ったような顔をして、わざと幕府へ借金を申し込むやら、急に、爪に火をともす倹約をはじめるやら……イヤ、その苦しいこと、財産|隠蔽《いんぺい》に大骨折りである。
 ところが、江戸の政府も相当なもので、お庭番と称する将軍さまおじきじきの密偵が、絶えず諸国をまわっていて、ふだんの生活ぶりや、庶民の風評を土台に、ちゃんと大名たちの財産しらべができているのだ。ごまかそうたって、だめ……。
 このお庭番の総帥が、これなるお風呂番、愚楽老人なのでございます。
 来年は、その二十年めに当たる。
「今度は、誰に下命したものであろうの」
「さようですな。伊賀の柳生対馬あたりに――」
 と、愚楽老人、将軍さまのお肩へ、せっせと湯をかけながら、答えました。

       三

 八代さまの世に、日光修繕の模様はどうかというと、御番所日記、有徳院御実記《うとくいんごじっき》などによれば……
 小さな修営は、享保《きょうほう》十五年、この時の御修復検分としましては、お作事奉行《さくじぶぎょう》小菅因幡守《こすげいなばのかみ》、お大工頭《だいくがしら》近藤郷左衛門《こんどうきょうざえもん》、大棟梁《だいとうりょう》平内《ひらうち》七|郎右衛門《ろうえもん》、寛保三年、同四年、奉行《ぶぎょう》曾我日向守《そがひゅうがのかみ》、お畳奉行《たたみぶぎょう》別所播磨守《べっしょはりまのかみ》、くだって延享《えんきょう》元年――と、なかなかやかましいものであります。
 が、これらは、中途の小手入れ。
 例の二十年目の大げさなやつは、先代|有章院《ゆうしょういん》七代|家継公《いえつぐこう》のときから数えて二十年めにあたる享保十六年|辛亥《かのとい》……この時の造営奉行、柳生対馬守とチャンと出ている。
 
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