、おなじく小手《こて》をかざして栄三郎を望見していた。

「どれ、日の高いうちにひとまわりと出かけましょうか。はい、大きに御馳走さま――姐《ねえ》さん、ここへお茶代をおきますよ。どっこいしょッ! と」
「どうもありがとうございます。おしずかにいらっしゃいまし」
 吉原を顧客《とくい》にしている煙草売りが、桐の積み箱をしょって腰をあげると、お艶《つや》はあとを追うようにそとへ出た。
 人待ち顔に仁王門のほうへ眼を凝《こ》らして、
「もう若殿様のお見えになるころだけれど、どうなすったんだろうね。あんなごむりをお願いして、もしや不首尾で……」
 と口の中でつぶやいたが、それらしい影も見えないので、またしょんぼり[#「しょんぼり」に傍点]と葦簾《よしず》のかげへはいった。
 階溜まりに鳩がおりているきり、参詣の人もない。
 浅草三社前。
 ずらりと並んでいる掛け茶屋の一つ、当り矢という店である。
 紺の香もあたらしいかすり[#「かすり」に傍点]の前かけに赤い襷《たすき》――お艶が水茶屋姿の自分をいとしいと思ってからまだ日も浅いけれど、諏訪栄三郎というもののあるきょうこのごろでは、それを唯一つの
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