《かぞ》えられるほど近く見えていた。
 東仲町が大川橋にかかろうとするその袂《たもと》を突っ切ると材木町、それを小一町も行った右手茶屋町の裏側に、四軒長屋が二棟掘抜井戸を中にして面《むか》い合っている。それが甚右衛門店であった。
 自身番の老爺が途中で若い者を二人ほど根引にして、一行急ぎ足に現場へ着いた時には界隈は寂然《ひっそり》として人影もなかった。三次が井戸を覗いて見ると、藻の花が咲いたように派手な衣服《きもの》と白い二の腕とが桶に載って暗い水面近く浮んでいた。それ[#「それ」に傍点]っというので若い者が釣瓶《つるべ》を手繰《たぐ》って苦もなく引揚げたが、井戸の縁まで上って来た女の屍骸を一眼見て、三次初め一同声も出ないほど愕《おどろ》いてしまった。
 女は身投げしたのではない。誰かが斬殺してぶち込んだのである。しかもその切り口、よく俗に袈裟《けさ》がけということを言うがまさにそれで、右の肩から左乳下へかけてばらりずん[#「ばらりずん」に傍点]とただの一太刀に斬り下げて見事二つになった胴体は左|傍腹《わきばら》の皮肌《かわ》一枚でかろうじて継がっていた。石切梶原ではないが刀も刀斬手も斬手といいたいところ、ううむ[#「ううむ」に傍点]と唸ると三次は腕を組んで考えこんだ。
 三次が考えこんだのも無理はない。過ぐる年の秋の暮れから正月へかけて、ひときわ眼立った辻斬がたださえ寒々しい府内の人心を盛んに脅かしていた。当時のことだから新刀試《あらものだめ》し腕試し、辻斬は珍しくなかったが、そのなかに一つ、右肩から左乳下へかけての袈裟がけ斜《はす》一文字の遣口《やりくち》だけは、業物《わざもの》と斬手の冴えを偲《しの》ばせて江戸中に有名になっていた。殺される者には武士もあった、町人もあった、女子供さえあった。昨夜《ゆうべ》はあそこ、今朝はここといった具合に、ほとんど一夜明けるたびに生々しい袈裟斬りの屍体が江戸のどこかに転がっているというありさまだった。誰も姿を見た者はないがもちろん侍、しかも剣の道に秀でた者の仕業であることは何人も認めざるを得なかった。死骸はいつも一太刀深く浴びて胸から腹へ大きな口を開いていたが、けっして切って落した例《ためし》はなく皮一重というところで刀を留めて危なく胴をつないでおくのがこの辻斬の特徴であった。これはとうてい凡手の好くするところではない。必ずや
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