はいったい何を言っているんだ。ああ、向うの山の端が、かすかに白みかけて来たぞ。今日はあの峠を越えて、乃蛮《ナイマン》国へ攻め入るのだ。都の和林《カラコルム》を出てから、もう二月あまりの旅だ。人も馬も、すこしの疲れも知らない。ありがたいことだ――うむ、そうだ。陣中日記でもつけるとしよう。
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と呟きつつ、軍装の内懐から一冊の帳面を出し、月の光りで、いつまでも黙って読み耽っている。追憶で感傷的になった合爾合《カルカ》姫の涕泣《すすりな》きが高まる。成吉思汗《ジンギスカン》は何も耳に入らないように、一心に読みつづける。長い長い間。合爾合《カルカ》姫は、懼《おそ》れていたこともなく夜が明けたので、ようやく成吉思汗《ジンギスカン》の意を悟り、静かな泣き声を放って寝台に伏す。月はすっかり落ち、もう砂漠の彼方に、早い蒙古の朝ぼらけが動き初める。今まで一望の砂原と見えたあたりに、斡児桓《オルコン》の川水が光って見えはじめる。
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成吉思汗《ジンギスカン》 (ふと暁の色に気づくが、振り返りもせずに)ああ、夜が明ける。
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